アラン・カルデック

2010年10月28日 (木)

こぼれ話~アラン・カルデック自伝より・その2

 前回に続いて、「アラン・カルデック自伝」(『天国と地獄Ⅱ』所収)から印象的な部分を引用します。

-で始まる発言がカルデック、「 」内の発言が霊(この場合ハネマン)のものです。

-『霊の書』の第一部がもうすぐ終わりそうなので、もっと早く仕事を進めるために、Bに霊媒を務めてもらおうと思っているのですが、そのことについては、いかがお考えですか?

「それはやめておいたほうがいいと思います」

-どうしてですか?

「虚偽の霊から真実が伝えられることはないからです」

-仮に、いまBを支配しているのが虚偽の霊であったとしても、この霊媒を通じて高級霊からの情報を得ることは可能だろうと思うのですが。

「確かにそうです。しかし、この霊媒は虚偽の霊との縁が深くなっています。したがって、常に虚偽の霊が介入してくる可能性があるのです」

 Bは若い男性の霊媒で、容易に自動書記を行うことができる。しかし、アリストと呼ばれる、傲慢で横暴な霊に支配されていた。アリスト霊は、Bのうぬぼれやすい傾向性に取り入っていたのである。
 ハネマンの予測は当たっていた。Bは医学的な相談業務、物当て、また、占いの類を行うことによって、一財産を築こうとし、その結果、アリスト霊に翻弄されて、支離滅裂なことを言うようになったからである。やがて、誰からも相手にされなくなった。

 現代でもありそうな、いやあちこちで起きている事態ですよね。

 もうひとつ、カルデックから霊(〈真実の霊〉と名乗っているようです)に対する真摯な問いかけです。

-もし私が失敗するとすれば、それはどのようなことが原因となるのでしょう。私の能力不足でしょうか?

 「違います。とはいえ、真の改革者は数々の暗礁や危険に立ち向かわねばなりません。
 あなたの使命を遂行するのは極めて難しいということを自覚してください。(中略)
 あなたは、すさまじい憎しみを受けるでしょう。仮借ない敵陣営が、あなたの破滅を願って次々と画策するでしょう。あなたは、悪意、非難、攻撃、裏切り-あなたを最も信奉しているように見える人々の中からも裏切り者が出ます-の的となるでしょう。あなたからの心を込めた指示が、ねじ曲げられ、無視されるでしょう。何度も何度も徒労感のあまり使命を投げ出したくなるでしょう。
 ひとことで言えば、それは休みなき戦いなのです。休息を犠牲にし、平安を、健康を、そしてあなたの人生全体を捧げなければなりません。(中略)
 かくのごとき使命を果たすには、知性だけでは不充分です。まず、謙虚さ、慎み深さ、無私無欲が必要です。傲慢さ、うぬぼれ、野心があったら、すぐにやられてしまいます。敵と戦うには、勇気、忍耐力、不退転の決意が必要でしょう。さらに、ものごとを、偶然に頼らず、計画どおりに成就するためには、慎重さと同時に智謀も必要です。そして、最後に、献身、克己心、あらゆる面における自己犠牲が必要となります。
 以上のように、あなたの使命を成就するか否かは、すべて、あなたがどうするかにかかっているのです」

 スピリチュアリストの道は厳しい!ですね。「スピリチュアル」に対して、明るく楽しくハッピーな生活を期待している人たちは、早い目に逃げ出した方が得策かもしれません(笑)。
 
 この霊とのやり取りの10年後に、カルデックは「ここで述べられたことは、あらゆる点で本当であった」と振り返っています。

 ただ次のように付け加えています。

 しかし、苦難、困難にさらされる一方で、偉大な事業が驚くべき仕方で展開していくのを見ることは、またとない喜びであった。私の苦労は数多くの慰めによって報われたのである。霊実在論(スピリティズムの訳でしょう)によって慰められた数多くの人々から寄せられた真実の共感によって、どれほどの励ましを受けたことであろうか。
 こうした結果は〈真実の霊〉からはまったく知らされていなかった。〈真実の霊〉が私に困難だけを告げたのは、おそらく意図的だったのだろう。

 粋な計らいですね、〈真実の霊〉さん。表面的な明るく楽しくハッピーな生活は待っていなかったけれど、その努力と苦難にふさわしい果実がもたらされたのですね。

 アラン・カルデックと、彼にかかわった霊たちは、こちらがほれぼれとしてしまうぐらい、真面目でまっすぐな人たちですね。 

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2010年10月26日 (火)

こぼれ話~アラン・カルデック自伝~『天国と地獄Ⅱ』より

 前回の記事で紹介した『天国と地獄Ⅱ』には、訳者の浅岡夢二さんの計らいにより、「アラン・カルデック自伝」として、『遺稿集』の「自伝的ノート」の抄訳が収録されています。

 これは、カルデックのスピリティズムとの出会いや『霊の書』などの著作活動などにおける霊との交流の記録になっています。例によって、カルデックも知識人らしく、最初は霊現象に対してきわめて懐疑的な態度を取ります。しかし、次第に「起こっている事態がとてつもなく重大であるらしい」ということに気づきます。

 そして、その後のカルデックの態度に感心させられます。少し引用します。

 やがて、それぞれの霊人から、その境涯に応じた情報を得ることになっていく。

 それは、ちょうど、外国人から、その国に関する情報を教えてもらうようなものだった。各人から、彼が属する階級や境遇に応じたことを教えてもらえるが、あくまでも、それは個人的な情報にすぎず、それだけでは、国の全体について知ることは決してできない。さまざまな方面から情報を集め、それらを吟味し、比較し、照合し、その上で全体像をつくり上げるのは、われわれの役目である。

 そんなふうにして、人間と付き合うようにして霊人たちと付き合った。最もつまらない霊から、最も偉大な霊に至るまで、決してその言葉を鵜呑みにすることなく、あくまでも単なる情報提供者として扱ったのである。

 すごいですね。こうやって、『霊の書』や『霊媒の書』などが作られていったのですね。

 ある晩、家で、霊による物音が続いたことがあったそうです。そして、それは、どうやら当時執筆中だった『霊の書』について、霊の側から言いたいこと、というより気に入らない部分があったからのようでした。霊は具体的な修正点は指示せず、この章のこのあたりを読み返してみよと言います。そして、カルデックが再検討すると、確かに重大な誤りが見つかったそうです。その後も、霊からのアドバイスが繰り返されて、ようやく『霊の書』は出版へと至ります。

 こうしたカルデックの真摯で慎重な検証姿勢や、以前紹介したステイトン・モーゼスの真剣な霊との格闘などを改めて見ると、19世紀から20世紀にかけて欧米人たちが霊に対して取っていたこのような姿勢を、どうして私たちは失ってしまったのだろうと、本当に残念な思いがしますね・・・。21世紀の日本人もがんばらねば・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年10月25日 (月)

天国と地獄~アラン・カルデック『天国と地獄』を読んで

 以前の記事「こぼれ話~霊に関する迷信~アラン・カルデック『霊媒の書』より」に対して、JIJIROさんからコメントをいただきました。その中で、同じカルデックの『天国と地獄』(幸福の科学出版)を読むと「不安になってくることがありませんか?」との言葉がありました。

 その『天国と地獄』『天国と地獄Ⅱ』を読んでみました。シルバーバーチやインペレーター、マイヤーズからの通信は、いわば高次元からの通信であるのに対して、こちらは「あの世」に行って間もない普通の人たちからの通信で、とても貴重で、興味深いものだと思います。

 ただ、行って間もない霊たちだけに、物質界での価値観や文化の影響による偏りがあるような感じがしました。

 地獄で苦しんでいると思われる霊たちから、繰り返し「神による罰」という表現が出てくるのが気になりました。また、天国と地獄という2種類のあの世が存在するかのような描き方にも違和感を感じました。

 私が理解しているスピリチュアリズムでは「神による罰」という考え方はしません。あくまでも厳然とした因果の法則の結果であると考えます。地獄のような苦しみを味わうような精神状態を自ら作りだしてしまったから、そういう状態にいるにすぎません。それを当時のキリスト教文化出身の普通の人たちの霊は「神による罰」と表現しているだけのような気がします。
 
 また、これも私流の理解ですが、天国という世界は存在するけれど、「地獄界」なるものは存在しないと考えています(何をもって「存在する」と言うか次第なのですが・・・)。マイヤーズ霊が描く天国は、死直後の中間生のような世界である冥府や地上的記憶の世界である幻想界から色彩界、恒星界、火焔界、光明界、彼岸へとはるか高次元まで重層的に続きます(『不滅への道』)。しかし、これと並立するような形での「地獄界」なる世界は存在していないのです。あくまでも一時的(と言っても長期に及ぶ場合もあるようですが)に地獄的な状態というものがあるだけです。

 私たちは日常生活においても、理不尽な非難・中傷やひどい仕打ちを受けたとき、強烈な悔しさや怒りや憎しみを自分でもコントロールできず、のたうちまわって苦しんだり、一晩中眠ることができないというような状況に陥ることってあり得ますよね。私は、こういう状態が、あの世でも展開してしまうのが地獄というものではないかなあと思います。そして、そこから抜け出せるかどうかは、「この世」でも「あの世」でも自分次第です。

 マイヤーズ霊が描く天国の初期段階の「幻想界」とは、各自が物質界で過ごした生活と関連のある夢の期間などと説明されますが、地獄というのは、きっとこの「幻想界」のようなもののうち、少し質の悪い状態みたいなものではないでしょうか。しかし、死直後の霊からの通信では、あたかも天国と地獄という2種類の世界が同列に存在するかのように見えてしまうだけなのだと思います。

 決して、天国と地獄の2種類の行先があって、その人の誕生から死までの思考や言動の全てが誰かに採点されて、「はい、あなたは残念ながら合計したらマイナス点でしたので、地獄へ」などと判定されるようなものではないと思うのです。『天国と地獄』には、そういう誤解を与えかねないミスリーディングなところがあるように思います。

 『天国と地獄Ⅱ』の訳者まえがきでは、前作の感想として「地上での生活がこれほどまでに厳しく評価されることを知って、ちょっと怖くなった」という趣旨のものが多数寄せられたと書かれています。しかし、この種の恐怖心を与えてしまうことは、スピリチュアリズムやスピリティズムにとっては不本意だと思います。カルデックも「ちょっと編集上の配慮が足りなかったかな」と今頃反省しているかもしれません(笑)。

 恐怖心によって、善行を積むことにスピリチュアリズムは意義を見出しません。確か牧師だったモーゼスは、インペレーターから通信を受け始めた当初、スピリチュアリズムの考え方では、永遠の地獄という脅しが使えず悪行への歯止めが効かなくなるのではと心配していましたね。しかし、スピリチュアリストは、そんな心配はしません(よね?)。 

 ただ、カルデック自身が書いているように、それでも『天国と地獄』で描かれる地獄や罰は、当時のキリスト教において支配的だった地獄観や神罰観に比べたら、はるかに合理的で慈悲深いものだったのでしょう(何せ自分の反省と努力次第で何度でもいつでもやり直しがきくのですから)。カルデックとしても、当時の地獄や罰の観念を引き継ぎながら、その質の転換を図ろうとしていたのかもしれませんね。

 『天国と地獄Ⅱ』には、「アラン・カルデック自伝」という貴重な文献も収録されています。こちらも大変興味深いものですので、次回、紹介したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 1日 (水)

こぼれ話~霊に関する迷信~アラン・カルデック『霊媒の書』より

 19世紀フランスの思想家アラン・カルデック(1804-1869)は、スピリティズム(実質的にはスピリチュアリズムと同じ)の生みの親と言われています。彼は、様々な霊媒を通じて現れる霊に対して多くの質問を投げかけ、それを体系的に整理して『霊媒の書』や『霊の書』などをまとめていきました。(スピリティズムはその後ブラジルで大きく発展していると言われています)

 イギリスでのシルバーバーチやインペレーターからの通信と異なり、特定の霊媒や霊に限定せず、また、カルデック自身は霊媒ではなく徹底的に審神者(さにわ)的立場に立っているのが特徴的です。そして英語版から翻訳した近藤千雄さんも書かれていましたが、霊の側が、カルデックのときに執拗な質問に対して、にべもないような答え方をしているのも特徴的です。それは小気味いいぐらいです。

 しかし内容的には、シルバーバーチやインペレーターの言っていることとそっくりなのも印象的です。何かこの時代に霊界の側が、欧米社会に照準を合わせて、徹底的に同じメッセージを寄せて、スピリチュアリズムの興隆を図ったような気がしてなりません。

 私は、はじめてスピリチュアリズムの考え方に触れた10代のとき、霊に対する合理的な考え方に感動を覚えました。それ以来、霊を何か怖くておどろおどろしいものと考えることはなくなり、不気味な場所だろうと、深夜の墓場だろうと、別に怖くもなんともなくなったのを覚えています。(好んで深夜の墓場には行きませんが・・・)

 『霊媒の書』を読んでいると、霊に対する人間社会の迷信についてのきっぱりした答えが載っていて、10代の頃に感動した思い出が甦ってきましたので、少し紹介してみます。(すでにスピリチュアリズムを学んでいる人には蛇足かもしれませんが)

アラン・カルデック編近藤千雄訳『霊媒の書』九章より

――霊は廃墟のような場所を好むという言い伝えがありますが、これには何か根拠があるのでしょうか。

「ありません。そういう場所へ行くことはありますが、特にそういう場所を好むからではありません。どこへでも赴きます。そういう言い伝えが生じたのは、廃墟のような場所に漂う哀愁や悲壮感が人間の想像力をかき立てて、霊がさまよっているかに感じるからでしょう。
 人間の恐怖心は木の陰を幽霊と思わせ、動物の鳴き声や風の音を幽霊のうめき声と思わせることがよくあるではありませんか。霊はどちらかといえば寂しい場所よりも賑(にぎ)やかな場所の方を好みます」

――霊は夜に出やすいという信仰はどこから来たのでしょうか。

「暗さと静けさから受ける印象が想像力に作用して生まれています。そうした概念はすべて迷信であり、合理性を旗印とするスピリチュアリズムが撲滅して行かないといけません。真夜中(丑三つ時)の怖さはお化け話の中にしか存在しません」

――自分の遺体が埋葬されている場所へは行きたがるものでしょうか。

「身体は言わば衣服にすぎなかったわけで、その身体に宿っていたがゆえに苦しい目に遭わされたのですから、それを脱ぎ捨てた後はもう未練はありません。クサリにつながれていた囚人は、解き放たれた後、そのクサリに未練など持たないのと同じです。心に残るのは自分に愛の心を向けてくれた人々の記憶だけです」

――埋葬された墓地で祈ってもらうと特別に感じられるものでしょうか。家庭や教会での祈りよりも霊には届きやすいでしょうか。

「ご存じのように、祈りは霊を引き寄せるための魂の行為です。それに熱意がこもり真摯さが強いほど、その影響力は大きくなります。ですから、聖なる葬儀の行われた墓地での祈りは格別の思いを集中しやすいでしょうし、一方、墓石に刻まれた文字を見て故人への情愛を感じやすいという点でも、故人の遺品と同じように、墓地には祈りの気持を高めるものがあることは事実です。
 ですが、そうした条件下にあっても、霊に祈りを通じさせるのは“思念”であり、物的な遺品ではありません。物的なものは祈る側の人間にとって意念を集中させる上で影響力をもつだけで、霊そのものには大して影響はありません」

――人間がそういう場所を恐れるのは理に適っているでしょうか。

「いいえ。そういう場所に出没して何かと話題のタネをまくような霊は、とくに邪悪な意図があるわけではなく、騙されやすい人間や恐がり屋を相手にして面白がっているだけです。
 それに、霊はいたる所にいることを忘れてはいけません。どこに居ようと、どんなに静寂な場所であろうと、あなた方の周りには常に霊がいるものと思ってください。霊が出没して騒がれる場所というのは、出現してイタズラをするのに必要な条件が整う場所にかぎられています」

――そういう霊を追い払う方法がありますか。

「あります。古来その目的で人間がやってきたことは、追い払うより、ますます付け上がらせる結果となっています。
 一ばん賢明な方法は、善良な霊に来てもらえるように、人間側が善行に励むことです。そうすれば、そういう低級霊も退散して、二度と来なくなります。善と悪とは相容れないものだからです。心掛けの問題です。善良な心掛けの漂う場所には善良な霊しか来ません」

――いわゆる“悪魔払い(エクソシズム)”の儀式でそういう邪霊は追い払えるでしょうか。

「エクソシズムが成功した話をどれくらいお聞きでしょうか。大ていはますます騒ぎが大きくなってはいませんか。イタズラ霊というのは自分が悪魔扱いにされるのを面白がるものです。
 もちろん悪意を持たない霊でも姿を見せたり音を出したりして存在を知らしめようとすることがあります。が、そういう場合の音が人間に迷惑を及ぼすほどになることはありません。死後迷っている霊かも知れません。そうであれば祈りによって救ってあげるべきでしょう。時には親しい間柄の霊が存在を示そうとしている場合もあります。ただのイタズラ霊の場合もあるでしょう。
 迷惑を及ぼすような場合は間違いなく低級霊で、することがなくてそうやって遊んでいるだけです。そういう場合は一笑に付して無視することです。何をやっても人間が恐がりもせず大騒ぎもしなくなると、バカバカしくなって止めるでしょう」

| | コメント (4) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

SPR(心霊研究協会) | 『第2の江原を探せ!』 | 『臨死体験』 | こぼれ話 | さだまさし | アセンション | アラン・カルデック | アルボムッレ・スマナサーラ | イエス | インスピレーショナル・ライティング | インスピレーション | インペレーター | オウム真理教 | カルマの法則 | コックリさん | ゴスペル | サンタクロース | サンデーサービス | ステイトン・モーゼス | スピリチュアルな生き方 | スピリチュアル・カウンセリング | スピリチュアル・ヒーリング | スピリチュアル体験 | スピリチュアル突撃体験記 | ティク・ナット・ハン | トイレの神様 | ニセ霊視体験 | ニューエイジ系チャネリング | ハリー・エドワーズ | パワースポット | ヒーリングセンター | フォックス姉妹 | フランチェスコ | フレデリック・マイヤーズ | ブッダ | ベーシックインカム | ホメオパシー | マザーテレサ | モーリス・バーバネル | 仏教とスピリチュアリズム | 仏教と自殺 | 前世 | 副守護霊 | 千と千尋の神隠し | 原発 | 友人の自殺 | 四天王寺参禅会 | 国際スピリチュアリズム協会 | 天国と地獄 | 夫婦喧嘩 | 悟り・解脱 | 指導霊とハイヤーセルフ | 書籍・雑誌 | 東京スピリチュアリズム・ラボラトリー | 死の受容 | 現代医学 | 生きる意味 | 生活保護 | 発達障害 | 紅白歌合戦 | 経済 | 自己完成・他者救済 | 自己責任 | 般若心経 | 認知療法 | 讃美歌・マントラ・念仏 | 超心理学 | 近藤千雄 | 逆説の10カ条 | 阿弥陀仏 | 霊に関する迷信 | 霊・あの世 | 霊魂仮説とESP仮説 | 飯田史彦