ティク・ナット・ハン

2010年5月22日 (土)

般若心経について

 無謀にも般若心経について語ります。異論・反論があるとは思いますが・・・。

 十数年前に、私の職場にとても心やさしい大先輩が二人おられました。お二人は、上司からも部下からも厳しい言葉を投げつけられてしまうようなタイプの方たちでした。そのお二人と数年前に、あるパーティーで一緒になりました。お一人が胸ポケットから小さな「般若心経」を取り出されました。するともうお一人が、「私も毎日のように般若心経を唱えているのです」と嬉しそうに話しておられました。最初の方が「不生不滅」「不垢不浄」「不増不減」などの言葉を指し示しながら、2500年も昔の時代に、お釈迦様が、このようなことを語っておられたのは素晴らしいと力説しておられました。

 私は「いやいや、大乗仏典は、ブッダの死後数百年経った時代の人たちが創作したものですよ」などと野暮なことは決して言いませんでした。ただ、お二人にとっては般若心経が確かに心の支えになっているのだなと思いました。

 般若心経は、日本で最も親しまれ、愛されているお経だと言われます。たった262文字(漢訳の場合)に真理が凝縮されているなどとも言われます。最近では、科学者や詩人の解釈による訳が出されたり、音楽に乗せられたりもしているようです。

 私が初めて、般若心経の解説に触れたのは、確か瀬戸内寂聴さんの本だったと思います。寂聴さんは尊敬すべき仏教者だとは思いますが、その般若心経解説にはピンときませんでした。何がそんなにすごいお経なのかよくわかりませんでした。また、スピリチュアリズムの側から、大乗仏教の重要な概念である「空」を、「霊」とか「霊界」とする解釈も読んだことがありますが、大乗仏教全体の思想から考えても、般若心経において、突然「霊」や「霊界」が語られているというのは、無理があるように思いました。

 前回の記事で紹介したティク・ナット・ハン師も般若心経について解説しています。彼は「空」について、彼らしいとてもやさしい語り口で説明します。こんな感じです。

 もし、あなたが詩人なら、この一枚の紙の中に、雲が浮かんでいることを、はっきりと見るでしょう。雲なしに、雨はありません。雨なしに、樹が育つことができません。そして、樹がなくては、紙ができません。紙が存在するためには、雲は、なくてはならないものです。雲がここになければ、この一枚の紙がここにあることができません。

 そして、彼は、「空」をよりわかりやすく表現するために「相互存在(inter-being)」という言葉を提示します。これはこれでとてもすばらしいと思いますが、彼の般若心経解説は、この「相互存在」の解説に終始します。しかし、般若心経はそんなシンプルな構造にはなっていないのです。

 スリランカ生まれで日本で精力的に活動されているテーラワーダ仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老は、そのものずばり『般若心経は間違い?』という本を出されています。

 彼も般若心経の前半が「空」を説いている点は認めますが、「色即是空(色かたちは空である)」は正しくても「空即是色(空は色かたちである)」は論理的に成り立たないと批判します。ここは般若心経の有名な個所ですね。

 その後、般若心経は「不」とか「無」という否定語のオンパレードになります。私自身よく理解できなかった部分です。初期仏教において提示された五蘊(色受想行識)、四諦(苦集滅道)、十二因縁などといった重要なキーワードをことごとく「ない」と言って否定していきます。そこにもっともらしい解説を付すことはできるのでしょうけれど、やっぱり首を傾げてしまいます。

 この後、般若心経は、自らがすばらしいと主張する「般若波羅蜜多」について説明することもなく、これがすごい呪文だ、最高の呪文だと述べて「真言(マントラ)」を提示して終わります。

 以上を、まとめて、スマナサーラ長老は、空論→虚無主義→神秘主義と移ろってしまったと総括します。そして、般若心経の作者は、大乗仏教の理論家、龍樹(ナーガールジュナ)のような人物ではなく、「もともと呪文を信仰している占い師、祈祷師のような人が書いたのでしょう」と推測しています。

 インド哲学者の宮元啓一さんは、般若心経は、龍樹などによって大乗仏教が精緻化される前の時代、おそらく紀元前後に、初期仏教との断絶性をものともせず、菩薩行に熱い思いをかけていた大乗仏教徒たちの中から生まれたのだろうと推測されています。表現は上品ですが(笑)、スマナサーラ長老とかなり近いことをおっしゃっていると私は思います。

 ちなみに私は、数年前に、スマナサーラ長老による瞑想指導を受けたり(一度きりですが)、その著書を読んだりしましたが、テーラワーダ仏教の考え方には、あまり共感できませんでした。特に、生命は死んだらその直後に別の生命に生まれ変わるという輪廻観は、スピリチュアリズムとは似て非なるものだと思いました。

 しかしながら、般若心経に対する分析は、少々手厳しく、また辛辣ではありますが、かなり的を射ているような気がします。(きっと、スマナサーラ長老の、このような論理的で、歯に衣着せぬ物言いが、日本の仏教にはない魅力となって、人気が高まっているのでしょうね。)

 私は般若心経に対する信仰を批判しようとは思いません。また、人間は弱いものですので、何かを拠り所にするということもあっていいと思います。しかし、一方で、シルバーバーチは、よく、自らの言葉に対しても、徹底的に理性で吟味し、納得がいかなければ否定して欲しいと語っていました。たとえ、多くの人たちが素晴らしいと言い、真理が凝縮されていると言うものであっても、自分自身の心に照らしてみて、わからないことはわからない、納得がいかないことは納得がいかないという姿勢を保ち続けることが大切だと、私は思います。

 般若心経を胸ポケットに入れていた大先輩は、退職を目前にして、他界されました。告別式で、90歳にもなろうかと思われる年老いたお母さんが、悲しそうに見送っておられた姿が目に焼き付いています。

 大先輩はきっと今頃、ブッダをつかまえて、般若心経について熱く語り合っておられるのではないかなあと思います。

(参考文献)

 ティク・ナット・ハン著『ティク・ナット・ハンの般若心経』

 アルボムッレ・スマナサーラ著『般若心経は間違い?』

 宮元啓一著『般若心経とは何か ブッダから大乗へ』

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2010年5月17日 (月)

ベトナムの禅僧 ティク・ナット・ハン

 私は父と母を立て続けに亡くした数年前から、しばらくの間、仏教に救いと癒しを求め続けました。そのころ仏教は静かなブームとも言われていました。オウム真理教の事件があって以降、新宗教や精神世界に対する偏見や警戒心が高まり、日本の伝統的宗教である仏教なら安心できるということだろうという解説も聞きました。

 日本人にとっては、仏教とは、何やらお地蔵さんに象徴されるような、ほのぼのと温かいイメージがあるのかもしれません。しかし、理屈の応酬が大好きなインド社会で生まれた仏教は、実はとても論理的で、徹底的に思考に思考を重ねた、そしてときにはとてもドライなところもある宗教だと思います。少なくともインド仏教の森に分け入ってしまった私はそう感じました。そして、学んでも学んでも救いや癒しはあまり得られず、迷路に入り込んでしまったような気がしました。(このあたりは大いに異論があるかもしれませんね)

 そんな中で、ベトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハンに出会った印象は鮮烈でした。正直言って、禅僧というと何やら私たちより一段高いところから、難しいことを難しく語る人たちという印象がありました。しかし、ティク・ナット・ハンの語る言葉は、とてもやさしくシンプルで温かいものでした。

 彼の説く瞑想は、決して足が痛くなるような不自然な姿勢を強いることも、厳しい修行を要求することもありません。歩きながら、呼吸に意識を集中しながら行う瞑想というのも彼がよく勧める方法です。「あわれみをもって耳を傾けるための瞑想」というのを紹介します。

1 息を吸いながら、いま息を吸っているのだと考える。
  息を吐きながら、いま息を吐いているのだと考える。
2 息を吸いながら、体を落ち着かせる。
  息を吐きながら、微笑む。
3 息を吸いながら、私は苦しんでいるのだと考える。
  息を吐きながら、あわれみをもって微笑む。
4 息を吸いながら、あなたも苦しんでいるのだと考える。
  息を吐きながら、あわれみをもって微笑む。
5 息を吸いながら、私たちはどちらも苦しんでいるのだと考える。
  息を吐きながら、私たちのどちらにも新しい機会がありますようにと考える。
6 息を吸いながら、耳を傾けようと考える。
  息を吐きながら、話を聞こうと考える。
7 息を吸いながら、あなたのつらさを聞き取ろうと考える。
  息を吐きながら、あなたを心から受けとめようと考える。
8 息を吸いながら、あなたの誤解を聞き取ろうと考える。
  息を吐きながら、怒りに激しないようにと考える。
9 息を吸いながら、私があなたを苦しめたのだと考える。
  息を吐きながら、ごめんなさいと考える。
10 息を吸いながら、心を開こうと考える。
  息を吐きながら、私の心にはあなたを受け入れる余地があると考える。
11 息を吸いながら、私は幸せになりたいと考える。
  息を吐きながら、あなたにも幸せになってほしいと考える。
12 息を吸いながら、私たちが幸せになっている姿を考える。
  息を吐きながら、それこそが私の願いだと考える。

 この瞑想は、ティク・ナット・ハン著『あなたに平和が訪れる禅的生活のすすめ』という本の中で紹介されていました(他にもいろんな瞑想が紹介されています)。原題はCreating True Peace:Ending Violence in Yourself, Your Family, Your Country, and the World とのこと。本当に、平和を創り出してしまいそうな瞑想ですよね。

 こんな風に紹介すると、ティク・ナット・ハンとは、おだやかでやさしいだけの老僧(1926年生)と思われるかもしれません。しかし、彼は実は、ベトナムで16歳のときに禅僧となったものの、インドシナ戦争やベトナム戦争によって祖国が疲弊していくのを放っておくことができず、僧院を飛び出して社会事業に邁進していった熱血僧なのです。そして、社会の状況に積極的に関与していく「エンゲージド・ブディズム(行動する仏教or社会に関与する仏教)」を提唱し、実践していきます。1966年にはアメリカを訪れて和平提案のスピーチを行ったことから、帰国不可能となり、フランスのプラム・ヴィレッジという共同体を拠点に活動を続けています。

 ティク・ナット・ハンは、私にとっては、広大で深い仏教の森の中で迷っていたときにみつけた宝石のような存在です。スピリチュアリズムとは少し違うけれど、間違いなく本物の宗教者だと思います。

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