書籍・雑誌

2012年1月25日 (水)

最近読んだ本

 長らくご無沙汰しています。
 なかなかまとまった文章を書く余裕がないのですが、数少ない読者の皆さんに、生きているという報告を兼ねて、最近読んだ本の紹介をします。

 武本昌三著『天国からの手紙 愛する家族との18年間の霊界通信』

 あの大韓航空機事件で(なぜかソ連領空を侵犯してしまった大韓航空機が撃墜された謎と疑惑が残る事件です。私は当時予備校生でした)、妻子を失った大学教授による著作です。事件に翻弄されながら、紆余曲折を経て、SAGB(英国スピリチュアリスト協会)のミディアムを通じて、その妻子と再会・交流を重ねていく感動的なお話です。こういう感動こそがスピリチュアリズムの神髄だと私は思います。

 飯田史彦著『生きがいの創造 Ⅳ 私たちはどこへ向かうべきか?』

 ご存知、元大学教授、経営心理学者の飯田先生の最新作です。大学教授の職を辞され、「光の学校」(岐阜から京都へ移るそうです)を開設されてからの飯田さんは、ご自身のスピリチュアルな能力を隠さず、前面に押し出した著作を次々と発表されています。以前のような科学的研究に依拠したスタイル(こちらも読みごたえがあってよかったと思いますが)ではなくなってきています。そして、本書は、東日本大震災を受けて、飯田さんがさらに覚悟を決めて本気になってこられた作品という印象を受けました。飯田先生、ともにがんばりましょう!

 磯村健太郎著『ルポ仏教、貧困・自殺に挑む』

 タイトルそのまんまの朝日新聞記者によるルポです。数年前、文化人類学者の上田紀行さんが『がんばれ仏教!』という本で仏教にエールを送っておられましたが、この本は、貧困や自殺が問題となっている現代日本で、そのようなエールに応えてがんばっている仏教者の紹介です。さて、スピリチュアリストは・・・。

 それぞれにもっと突っ込んでコメントしたいところもあるのですが、本日はこのあたりで。

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2009年8月28日 (金)

『第2の江原を探せ!』~新たなステージの予感

 初の未発表原稿です。

 『第2の江原を探せ!』という本を紹介しながら、後半は前回の「友の死~悪戦苦闘こそ人生」の続編のような内容になっています。

「新たなステージ」などと書いてますが、私個人に関しては、そういう言葉の心地よい響きとは違って、なかなかの悪戦苦闘をしています。それはまた別の機会に・・・。

『第2の江原を探せ!』~新たなステージの予感

 ジャーナリストたちが「スピリチュアル」を検証した『第2の江原を探せ!』(扶桑社)。そのタイトルの軽薄さとは裏腹に、実に真面目な調査報告だと思う。参加しているのは、大企業の商品を告発した『買ってはいけない』を企画した人物やチェチェン紛争を現場取材してきた人物など、いずれも硬派ぞろい。およそスピリチュアルなるものが似合いそうにない人たちばかり。実際、5人の執筆者のほとんどが否定派か無関心派だった。著者たちの問題意識はこうだ。

「空前のスピリチュアルブームの中、肯定派は権威に頼って頭から信じ込み、否定派は事実にもとづかない全否定を行うため、議論が噛み合わない。不毛な議論をする暇があったら、現場を取材し、江原氏の唱える仮説を実際に検証するほうが、はるかに有益ではないか。もはや、その時期にきていると思う。」

 近代スピリチュアリズム草創期には、欧米の科学者たちがSPR(心霊研究協会)を舞台に心霊研究を行い一定の成果を収めてきた。私は、スピリチュアルブームの只中にある日本においても、こうした検証が必要だと常々思っていたので、今回の試みを大いに歓迎したい。

 著者たちは評判の高い16人のスピリチュアルカウンセラーのカウンセリングを次々と受けて、その内容の的確さや守護霊・前世の一致度を検証していく。その結果、ニセモノもいたが、不思議な力を持つと全員が認めざるをえないカウンセラーもいて、当初懐疑的だった著者たちが全否定できなくなってしまった。守護霊や前世については否定的な結果となったため、霊や霊界の実在については意見が割れたが、全員が「何かがみえている」と認めたことは画期的である。そしてこの結論もかつてのSPRのものに近い。

 著者の一人は、スピリチュアルというのは現世からの「逃げ」だと思ってきたが、今回の検証作業を通して、「信じる者は救われる」という安易なものではないということがわかったという。むしろ自分の魂が何ものであるかの示唆を受け、弱点や課題を理解しながら、どう修正し、磨いていくかを考えるきっかけになったとのこと。彼は、次のように結んでいる。

 「自分の魂というものを理解し、軸をもって人生の課題に取り組めるようになるという点でスピリチュアルは意義深いものだ、と思った次第である。」

 私は、このような認識に早くも到達していることに感心するとともに、本書の登場が日本のスピリチュアル界の新しいステージの幕開けになるのではないかと期待している。

 さて、ここから私事になる。実は、私も本書の著者たちと同様の問題意識のもと2年ほど前からアイイス(*)で学び始めた。その間、アイイス外でも様々なカウンセリングを受けてみたが、正直言って玉石混交であり、自分の中でなかなか確信できないでいた。

そして、先日、あるアイイスのミディアムの方のカウンセリングを受けた。母親や母方の先祖たちが現れたが、そこで指摘される妻や子供たちの性格や状況、親子関係、子どもと担任の先生の関係、私の職場での環境などなど、いずれも図星と言っていいぐらいの的確さだった。何よりもうれしかったのは、多くの先祖霊や指導霊の方々が、私のことをいつも気にかけ、ときには導き、ときには必死に守ろうとされている様子がひしひしと伝わってきたことだ。シルバーバーチは「霊的真理を理解している者に取越苦労はあり得ない」と繰り返し説いていたが、そのことが実感をもってわかったような気がする。大きな収穫だった。

セッション後半は半年ほど前に自殺した友人が現れた。今なお孤独に苦しんでいる様子だった。ミディアムの方が頭が痛いとおっしゃった。彼が飛び降り自殺をしたときに頭に強い衝撃を受けたであろうことにそのとき初めて思い至った。これも驚きだった。まわりの守護霊の皆さんから、私が彼に愛の念をもって語りかけることをお願いされてしまった。それによって真実に気づけば賢明な彼の成長は速いはずだからと・・・。

その約2週間後のサンデーサービス(**)の場に、彼は再び現れた。私の語りかけのおかげで随分と目覚めてきたという。そして、彼の母親がいまなお自分を責め続けて苦しんでいる様子なので、母親のせいではないこと、今の彼の状況などを、母親宛に手紙でも書いてほしいという。そのタイミングに合わせて彼も母親の夢の中に出るようにするから・・・と。

何とも注文の多い友人の霊とその守護霊たちである(笑)。

できるだけのことをしてあげようと思う。

私もまた、新たなステージに入ろうとしているのかもしれない。

(2009年5月)

*アイイス:私が信頼を寄せるスピリチュアリスト団体のひとつ「国際スピリチュアリズム協会(IIS)」のこと。

**サンデーサービス:イギリスで発達したもので、キリスト教の日曜のミサに、スピリチュアリストが霊能力のデモンストレーションなど独自の行事を加えたもの。

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2009年8月11日 (火)

立花隆著『臨死体験』を読み返しながら・・・

過去に投稿した原稿第3弾です。

立花隆さんの労作『臨死体験』を十数年ぶりに読み返しながら考えました。

何を考えたのか・・・は本文をお読みください。

立花隆著『臨死体験』を読み返しながら・・・

19913月、立花隆さんの取材によるNHKスペシャル『臨死体験』が放映され、大きな反響を呼んだ。多くの日本人にとって、「臨死体験」の存在は衝撃的だったようだ。当時、何の疑問もなくスピリチュアリズムを信奉していた私にとっては、「臨死体験」は当然の現象だった。この分野に「知の巨人」立花隆さんが切り込んでくれることを大いに歓迎し、当然、霊の実在を証明してくれるものと期待していた。

その後、立花さんは膨大な取材や調査の結果を、『臨死体験』(文藝春秋)という重厚な2巻本にまとめあげた。立花さんは臨死体験の解釈として、霊界の存在を前提とする「現実体験説」とその存在を否定する「脳内現象説」を並び立たせ、どこまでも一方に軍配を上げようとはしない。そして後半部分になると、ほとんどの事例は「脳内現象説」で説明できるとし、残された「現実体験説」でしか説明できない事例については、証拠不十分として保留にしてしまう。

この展開は、私にとっては、世間の人たちとは全く違った意味で衝撃的だった。「脳内現象説」として紹介されている様々な考え方に従うと、スピリチュアリズムはもちろんのこと、ブッダが到達した悟りもイエスやモーゼが受けた啓示も、すべて「脳内現象」、すなわち単なる幻覚みたいなものということになりかねない。本書は、その後、私がスピリチュアリズムに懐疑的になり、離れていくひとつのきっかけとなってしまった・・・。

十数年ぶりにスピリチュアリズムに復帰した今、改めて『臨死体験』を読んでみた。当時衝撃を受けた「脳内現象説」も冷静に読めば、まだまだ仮説段階で、自信たっぷりというには程遠いようだった。立花さんの論展開も、霊の存在を安易に認めまいとする慎重さからか、やや強引な印象を受けた。

本書に、現代アメリカの研究者コリン・ウィルソンの言葉として「ウィリアム・ジェームズの法則」というものが紹介されている。ウィリアム・ジェームズは、近代スピリチュアリズム草創期に、SPR(心霊研究協会)を舞台に活躍したアメリカの心理学者・哲学者である。ジェームズの時代からそうだったようだが、超常現象の研究には「信じたい人には信じるに十分な証拠が出る一方、信じたくない人には否定するに十分な曖昧さが残る」という。それをウィルソンたちは「ウィリアム・ジェームズの法則」と呼んでいる。

私は、本書を以前読んだときには、霊の存在が事実であるならば、信じたくない人も否定できないような証拠が提供されるべきであり、「ウィリアム・ジェームズの法則」とは、霊の存在証明ができていない=霊は存在しない、ということを意味するのではないかと考えた。

しかし、今は少し違った考えをもっている。そもそも私たちは、なぜ、霊界や過去世の記憶を失って物質界に生まれてくるのだろうか。それは、私たちの修行にとって、あえてそうすることに意味があるからではないだろうか。今や地球が自転していることが自明であるように、霊や霊界の存在が信じたくない人にとっても当然の知識となってしまえば、物質界を選んで生まれてくる意味が半減してしまうのではないだろうか。

人類は、19世紀頃から科学的精神や合理的思考力を身につけた。それに照準を合わせるように神(霊界や高級霊たちと言い換えてもよい)は、近代スピリチュアリズムをもたらしてくれた。しかし、神は、科学だけで真実を見つけよとは言っていないのではないか。私たちに与えられた理性や感性、これまでの人生経験で身につけた判断力やインスピレーションなどを総動員して、ひとりひとりの心で、正しいと思う世界観や人生観を選び取りなさい。それができるだけの材料はすでに与えてある。「ウィリアム・ジェームズの法則」を通じて、神はそう言っているような気がする。

6歳になる息子がある日こんなことを言った。「お父さん、神様とお話しすることってできるんだね。」「世界のみんなが好きですかって聞いたら、『あたりまえです』って答えてくれた。聞こえたわけじゃないけど、そんなふうに感じたよ。」

向こう側から来て間がない子供たちは、私たちよりずっと真実に近いところにいるのかもしれない。(2008年6月)

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2009年7月30日 (木)

『幽霊を捕まえようとした科学者たち』~5パーセントの真実を求めて

 過去に投稿した原稿第2弾です。

 十数年ぶりにスピリチュアリズムに復帰しようとしていたこのころ、しかし未だに半信半疑でした。また、世に溢れる「スピリチュアル」なるものの玉石混交ぶりにとまどいも感じていました。そんなとき本書を読んで、近代スピリチュアリズム勃興期のSPRに集った科学者たちの真摯な姿勢や奮闘ぶりに感銘を受けて執筆したものです。本の内容紹介が中心となっていますが、よろしかったらお読みください。

 なお、本文中にあるアイイスとは、私が信頼を寄せるスピリチュアリスト団体のひとつである「国際スピリチュアリズム協会(IIS)」のことです。

『幽霊を捕まえようとした科学者たち』~5パーセントの真実を求めて

私は色んなところをさまよった挙句、今一度スピリチュアリズムを信じてみる気になった。そして、信じるためには体験を積まねばとの思いから、スピリチュアル、霊視、霊能などのキーワードで、インターネット界を検索してみた。深夜、スピリチュアルを欲望実現の道具としか見ないサイトの数々に気分が悪くなり、絶望的な気持ちに陥った。結局、こんなレベルのものしかないのか…。

そして翌朝、ふとした偶然から、アイイスのサイトに辿り着いた。そのページ全体から伝わってくる信頼感、そして講師の方々の写真を見たときの安堵感は、今も忘れられない。その日のうちに事務室に連絡し、入会とリーディングを申し込んでいた。

サイエンスライターのデボラ・ブラムによる『幽霊を捕まえようとした科学者たち』(文藝春秋)は、イギリスとアメリカのSPR(心霊研究協会)の草創期の主役たちのドラマを丹念に追った力作である。江原啓之さんはSPRを霊の存在を否定するために研究している団体であると紹介している。しかし、少なくともSPR創設に携わった本書の主役たちは、進化論に象徴される科学が宗教を圧倒していく19世紀後半から20世紀初頭の世界にあって、あくまでも冷静に、健全な懐疑精神と厳密性を保ちながら、科学と宗教の橋渡しをすべく、心霊研究に没頭していった誠実な人たちであったようだ。アメリカ、イギリス、フランスなどの心理学者、哲学者、生理学者、物理学者などの錚々たる面々(中にはノーベル賞受賞者もいた)が、その名声を危機にさらしながら、研究を重ねていった。彼らのことを筆者は「ゴーストハンターズ」と呼ぶ。

哲学者フレデリック・マイヤーズが師のヘンリー・シジウィックと星空を仰ぎながらケンブリッジのキャンパスを歩く場面が印象的だ。マイヤーズは自問する。「自明のものを超越した存在、死すべきものを超越した存在があるのなら、誰かがそれをまじめに、組織的に研究すべきではないのか?自分がその誰かになるべきではないのか?」シジウィックが語る。「わたしも霊の研究が、物質的な現世を超えて未踏の世界へと達する『最後の希望の場』をあたえてくれるかもしれないと思っている」

SPRの研究に対しては、当然のことながら「正統派」科学者から激しい批判と嘲笑を招く。そればかりではなかった。ゴーストハンターズは信頼できる霊媒を使った実験を重ねるだけではなく、職業霊媒たちのインチキを多く暴き、かなり良い結果を出した霊媒であっても、一度でもインチキがあったり、疑わしい面のあった事例については、徹底的に証拠から除外していった。例えば神智学の創始者と言われるマダム・ブラヴァッキーについてはペテン師と決め付けた。仲間の物理学者ウィリアム・クルックスが肩入れした女性霊媒フローレンス・クックの支配霊ケイティー・キングについてもきわめて否定的な態度を取った。このためスピリチュアリストの一部からもかなりの反発を買うことになる。

心霊研究者エドマンド・ガーニーは、膨大な事例を検証しながら言う。「なんらかの価値があるのは、善意で寄せられた事例の5パーセントぐらいでしょう。でも、残りの95パーセントにも身をさらさなければ、その5パーセントはけっして手にはいらないのです」

研究を進めていく途上で、主役たちの何人かは先に逝ってしまう。霊媒を通じて彼らが遺された者たちにメッセージを寄せてくる。SPRは、それらについても厳密な検証を重ねていく。そして、主役たちの多くは、当初の懐疑派も含めて、個人的には霊の実在を確信していくが、それだけでは満足せず、徹底的な否定論者をも納得させられるようなさらなる証拠を求めて、終わりなき探求を続けていく。

近藤千雄さんによると、現在のSPRは資料収集をするばかりでその存在意義を失っているという。また、スピリチュアリズムは、科学者の実験対象となるような現象面中心から、霊的真理の普及や心霊治療などに重点を移しつつあるとの解釈も聞かれる。その真偽を判断することは私にはできない。しかし、玉石混交のまま空前のスピリチュアルブームの様相を呈している現代日本においてこそ、安易に信奉するのでもなく、頑なに否定するのでもなく、確かな目で「5パーセントの真実」を追求していこうとする本書の主役たちの姿勢が再評価されるべきではないだろうか。(2008年2月)

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2009年7月23日 (木)

『宇宙人のしゅくだい』-アセンション論議に思う

 「スピリチュアル」に関する様々な思いを書いていきたいと思います。

 まず最初は、昨年、ある団体の機関誌に投稿した文章です。小松左京さんの子供向け短編集の話を手がかりに、今スピリチュアル界で喧しい「アセンション」について批判的にコメントしています。かなり力んで書いた文章ですが、お読みください。

『宇宙人のしゅくだい』-アセンション論議に思う

 小松左京さんの短編集『宇宙人のしゅくだい』は、子供のときに大好きだった本のひとつで、今、小1になる我が子にも読んで聞かせてあげている。その中の「宇宙人のしゅくだい」という作品では、少女が宇宙人に遭遇する。動物や植物が大好きという少女に、宇宙人は「報告とちがう」と首をかしげ、「地球人は、植物や動物を根絶やしにしようとし、しょっちゅうおたがいにくみあい、ころしあったりしているので、いまのうち、地球をほろぼしてしまおうか、と思っている」と言う。少女は、地球の人たちは、ほんとうはみんないい人たちだと訴え、「わたしたちが、おとなになったら、きっと戦争のない星にして、地球をもっともっと、たいせつにする」と約束する。

最近、「アセンション」という言葉をよく目にする。様々な説があるようだが、代表例のひとつは、はるかかなたのプレアデス星団からのメッセージで、2012年頃に地球が丸ごとアセンション(次元上昇)する予定であり、アセンション後の地球に行けるのは、意識覚醒した人たちだけで、その前に様々な天変地異が起こるという。

私はこのようなメッセージに違和感を覚える。もし、プレアデス人たちがそのようなことを計画しているのだとしたら、そんな勝手なことはおやめ下さいと言いたい。私たち地球人は、一人ひとりがそれぞれの課題を背負って、それぞれの予定表の中で一生懸命生きているのですよ。それをある特定の時期に、それぞれの状況におかまいなしに丸ごとアセンションなどとは少々乱暴に過ぎませんか?

私たちは、自分の努力ではどうしようもないような閉塞感を背負ってしまったとき、何か大どんでん返しみたいなものに期待したくなることがある。オウム事件のとき社会学者の宮台真司さんは、日常生活の閉塞感に耐えかねて「終末」の到来に期待する若者たちに向って「終わりなき日常を生きろ」と訴えた。人生に意味なんか求めるなと言う宮台さんとは違った立場で、私は同様のメッセージの必要性を感じる。

キリスト教では、いつか「最後の審判」の日が訪れて、天国行きの人と地獄行きの人に仕分けされると信じられているという。巷のアセンション論議は何かその焼き直しのような気もする。これに対して、スピリチュアリズムでは、一人ひとりに自分自身が課した「宿題」があって、この物質界において、その宿題が何であるかを見極め、きちんとこなしていくことになっている。そして、人生の「卒業」後、身内や指導霊に導かれながら、宿題の出来具合を自分で審査すると言われていて、これがいわば「最後の審判」にあたると考える。私は、この方がずっと理に適っていて、神の公正さという点からも納得がいく考え方だと思う。

スピリチュアリズムの素晴らしい点は、「生きていくことの意味」を教えてくれることだと思う。そして、そのことにより人生や世界との関わり方において決して虚無的にならず、前向きになれることだと思う。日常生活のささいなことにも意味を見出し、前向きになれたら、もはや私たちは終末や大どんでん返しを待ち望む必要はない。「終わりなき日常」は決して無味乾燥の砂漠ではなく、意味に満ち溢れたものであることがわかるからである。

宇宙人が言うように、確かに人間社会は不公正に満ちているかもしれない。しかし、少女が訴えたように地球人は「ほんとうはみんないい人たち」だからこそ、多くの反省もし、進歩も重ねてきた。そして、私たち一人ひとりが家庭で、地域社会で、あるいは国際社会において、それぞれの立場や能力を活かして、今なお残る不公正を改善していくところに「生きていくことの意味」があるのだと私は思う。

神や高次元の存在は、人類の進歩について、決して期限を切ったりしないと思う。私たち一人ひとりが宿題に取り組み、失敗も重ねながら成長していき、何千年後か何万年後かわからないけれど、宇宙人が目を見張るような素晴らしい地球へと進化する。そのときが来れば、それをアセンションと呼んでもいいのかもしれない。

私は、この世を卒業するとき、子供たちに対して「お父さんはここまで宿題を仕上げたよ。次はお前たちの番だね」と言って、誇りと愛情をもってこの地球を引き継ぎたいと思う。(2008年10月)

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