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2012年3月 1日 (木)

仏教と自殺~『ルポ 仏教、貧困・自殺に挑む』を読んで

 またまた、「最近読んだ本」の続編です。
 この本にはそのタイトルの通り、貧困や自殺に挑む仏教者の姿が描かれています。その姿勢は、どれも貴重で尊敬すべきものと思います。その中で、少し趣向の違う取り組みとして印象に残ったのが、浄土真宗本願寺派(本山は西本願寺で、実は我が家の宗派です)の「教学伝道研究センター」が、仏典は自殺をどう見ているのか読みなおしたというものです。

 スピリチュアリズムでは自殺はきわめて否定的に語られます。この世に生まれてきて人生を生きるという自らの意思を否定する行為だからでしょう。あるスピリチュアリズムに近かった宗教家が「自殺は神の意への反逆である」とし、自殺者は○○地獄に落ちると語るのを読んだこともあります。キリスト教でもこれに近い考え方をし、自殺を「罪」と見なすようです。

 このような考え方はある程度正しいのだと思います(地獄に落ちるかどうかは別として)。しかし、自殺に至るかどうかは、様々な要因がからみあっています。自殺に踏み切った人と思いとどまった人の違いなんて、紙一重ではないでしょうか。私の親友の一人は数年前に自殺しましたが、そこに至るまでにほんの少し条件や環境が違っていたら、彼は今頃、それを乗り越えて、多くの自殺志願者を救う活動に奔走していたかもしれません。そういう奴でした。彼はまた、この本で僧侶たちが関わる貧困問題と同様の問題についても、積極的に取り組んでいました。

 宗教が自殺を悪とか罪と見なす視線が、実は遺族を苦しめているといいます。本願寺派の多くの僧侶たちも、確たる根拠のないまま、何となく自殺は悪と考えていたようです。そこで、「教学伝道研究センター」が原始仏典や大乗仏典を調べました。その結論は「釈尊は自殺について価値判断をしていない」というものです。決して自殺を容認しているわけではなく、「仏典は、ぎりぎりのところまで「生きろ!」と呼びかける一方で、自殺という行為そのものについては、良いとも悪いとも語っていない」というのです。

 これは貴重な研究だと思います。ブッダ(釈尊)という人はただ者ではないなあと改めて思いました。こうした結論について、自殺問題に取り組むNPOライフリンク代表の清水康之さんは一定の評価をしているとのことです。彼の発言を引用します。

 「社会問題となっているのは、ほんとうは生きたいのに追いつめられた結果としての自殺です。それを悪や罪としか語れない思想は貧弱。どれほど多くの遺族らが傷つけられたでしょうか。仏教もキリスト教も取り返しのつかないことをしてきたわけです。信頼回復は簡単ではありませんが、原点に返り、現実的な姿勢を取りはじめたのは心強い。弱い立場の人間に寄り添い、声なき声に耳を傾ける。宗教界がそうした本来の役割を果たすため、どう踏み出していくのか見つめたいです」

 清水さんの視野にはきっとスピリチュアリズムは入っていないでしょう(残念ながら(笑))。しかし、スピリチュアリズムにも鋭く突きつけられた言葉として受け止めないといけませんね。 

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