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2011年3月 6日 (日)

仏教とスピリチュアリズム(2)~無我と空

 いよいよさらに理屈っぽい世界に入って来ました(笑)。

 生まれ変わりがあるとして、今生の私にとっては思い出すこともできない前世の私など「私」と言えるのかというもっともな疑問があります。言い換えると、前世の私と今生の私に同一性があるのかという問いです。

 これに対して、ある種の仏教の論者はきっと「私などというものは存在しない」と答えるでしょう。いわゆる無我説です。インドにおいて理屈っぽいけれど素朴な初期仏教から少し断絶する形で大乗仏教が興り、それが理論化されていく過程で、無我とか空という概念も高度に哲学化されていったと言われています。

 例えば、こんな風に説明されます。私と私以外を隔てるものは何だろうか。皮膚か。しかし皮膚を通り抜けて、あらゆるものが行き来している。皮膚自身もどんどん新陳代謝を繰り返している。実は、私というものが実体のあるものという考えは錯覚であって、そんなものは存在しない。私というものは様々な材料や関係性の集積であり、日々変転している「無常」な存在である。

 仏教の影響も受けているニューエイジ系の理論家ケン・ウィルバーは『無境界-自己成長のセラピー論』という著書も書いていて、自分と他者はもちろんのこと、あらゆる境界が、実は相対的で、曖昧であるという観察から、究極的な高い境地では、宇宙全体がひとつであるという認識に至るという趣旨のことを述べています。(随分前に読んだのでうろ覚えです)

 私という存在の相対化にとどまらず、あらゆる存在の相対化を主張するのが空という考え方です(厳密には無我にも同様の意味があります)。特にこの空を高度に理論化したと言われているのが2~3世紀頃に活躍したと言われるナーガールジュナ(龍樹)です。初期仏教では単純な因果関係を指していた「縁起」の概念を、あらゆる事物は相互に依存した関係にあり、それだけで独立に実在しているのではないという方向へと徹底させます。そしてそういう存在のありようを空と呼びます。(ちなみに初期仏教では、空という言葉は、物事を観察して説明する際の数多くある言葉のひとつにすぎず、それほど特別視されていたわけではないようです。)

 さて、ここまで来ると、「前世の私と今生の私に同一性があるのか」という問いは、全くナンセンスということになりますね。もともと私の同一性など存在しないのですから。

 そして、無我説や空論を重視する仏教思想家の中には、輪廻転生を否定する人たちもいます。無我説を徹底させてしまうと、輪廻を繰り返している主体が何なのか説明がつかなくなってしまうからです。

 しかし、果たしてそうでしょうか。少し先走ると、過度に理論化に走るからそんな袋小路に入ってしまっているのになあと私などは思うのですが、続きは次回に。

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コメント

Glass Ageさんの仏教論、楽しみです。
続き、期待しています。

投稿: 高森光季 | 2011年3月10日 (木) 15時18分

お恥ずかしい。
高森さんには、まさに「釈迦に説法」になりそうです。

投稿: Glass Age | 2011年3月10日 (木) 23時13分

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