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2011年3月10日 (木)

仏教とスピリチュアリズム(3)~類魂説

 前回は大乗仏教で高度に理論化された「無我」について書きました(ただ、大乗仏教だけを理屈っぽいと言うのはフェアではないでしょう。ブッダ亡き後に展開した部派仏教なども相当に高度に理論的です。ナーガールジュナ(龍樹)など大乗仏教側はそれらに対抗するために理論武装していった感もあります)。

 実はブッダが説いていたのは「無我」ではなく「非我」だという説もあります。「私という存在の実体はない」ではなく、「○○は私ではない」ということです。現代風に言うと、「肉体や財産や地位や名誉が私なのではない。そんなものに執着するな」という考え方です。これはスピリチュアリストにも普通の常識人にもとてもわかりやすいですね。ブッダが説いていたのは確かにこちらのような気がします。

 一方、生まれ変わりをめぐって、素朴なスピリチュアリズムにはめずらしく(笑)、少しだけ理論っぽいのは、フレデリック・マイヤーズが最初に霊界から伝えてきた(いわゆる「マイヤーズ通信」)「類魂説」でしょう。私たちは単純に魂が丸ごと再生してくる(全部再生説)のではなく、類魂の一部として再生してくる(部分再生説)という考え方です。私たちの前世や場合によっては指導霊などの存在も、実はこの同じ類魂の一部、つまり魂の兄弟たちであるというわけです。類魂は体験や教訓や成長を共有していると言います。私の成長は類魂全体の成長に貢献するし、私の人生は類魂の別の部分が残した課題を克服することが目的かもしれません。シルバーバーチはこれをパーソナリティ(この世での私)とインディビジュアリティ(この世での私を含む類魂全体)と表現しています。

 欧米のスピリチュアリズムでは、再生肯定派と否定派があると書きました。『スピリチュアリズムの真髄』(原題は“Higher Spiritualism”-つまり軽薄なスピリチュアリズムとは一線を画するぞという立場です)の著者ジョン・レナードなどは明確な否定派で、訳者の近藤千雄さんも、そこだけは疑問を呈しておられます。シルバーバーチは再生を肯定しているのに、その霊媒のモーリス・バーバネルはある時期まで否定派だったという話は有名です。キリスト教文化圏とインド宗教界のあまりの違いに驚きますね。

 そして、類魂説=部分再生説は、この両派をうまく統合してしまうのです。パーソナリティに着目すれば再生はないという考え方も成り立ちそうですし、インディビジュアリティを考えれば再生はまぎれもなくあるということになりますしね。

 しかし、私たちはここでハタと困ってしまいます。前回、「前世の私と今生の私には同一性があるのか」という問いを立てましたが、類魂説まで入ってくると、ますますわけがわからなくなります。前世の私は、私が属する類魂の別の部分?私を導いてくれている指導霊が実は私の一部???

 どこからが私?どこまでが私?

 困りましたね(笑)。続きは次回に。

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