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2011年3月 5日 (土)

仏教とスピリチュアリズム(1)~輪廻と解脱

 実は、このブログでは、空理空論の理屈ばかりの議論はやめよう、できるだけ実体験や日常生活に根ざした地に足の着いた文章を書こうと心がけてきました。もともとが理屈っぽい性格だからです。今回の文章は、その基本スタンスに反し、ちょっと空理空論に近いかもしれません(苦笑)。

 仏教というよりインドの宗教界では、常に輪廻転生というのが大きな関心事だったようです。テーラワーダ仏教(いわゆる原始仏典のみを重んじる南伝系仏教)では、生命は死の直後に次の生命に生まれ変わり、輪廻転生を繰り返すと説かれています。そして、修行者がめざす解脱とは、この輪廻の繰り返しから脱出することだとされています。「もはや生まれ変わることはない」というのが高い悟りに至った者に対する形容となっています。

 こういう世界観は、私たち現代日本人には少し違和感がありますよね。なぜ生まれ変わりをそんなに忌み嫌うのだろう。死がすべての終わりではなく、生まれ変われるのなら、ありがたいことじゃないか。ましてや、厳しい修行までして、なぜそこからの脱出を求めないといけないのだろう。そんな風に思われた方はいらっしゃませんか。

 一方、スピリチュアリズムでは(欧米では再生を否定するスピリチュアリストもおられますが)、前世での教訓や積み残した課題を克服し、魂のさらなる成長をめざして、再度、地上に生まれてくると考えます。そして、テーラワーダ仏教とは異なり、前世と今生の間には、「あの世」での期間があり、そこで様々な反省や検討がなされた上で、必要があれば地上に生まれてくるのだと考えます。

 しかし、例えばシルバーバーチのような高いレベルに達した霊は、もはや地上での修行を必要としないと言います。高いレベルの霊にはそれにふさわしいより高次元世界での修行や役割があるようです。

 ここまで書いてきたら、ふと気づきますよね。仏教の輪廻観とスピリチュアリズムの再生観は、余計な解釈を取り除いて、端的な結論だけを取り出すととても似ています。未熟な魂は地上に再生し、成長した魂は地上には再生してこない。(しかし、再生してこないのは、あくまで結果であって、めざすべき目標ではない。)

 私は、きっとスピリチュアリズムで説かれている再生観の方が、真実に近いのだろうと思います。そして、インドでは長い長い歴史の中で、様々な解説や解釈がなされ、いつのまにか現代人には少し違和感があるような輪廻観、解脱観が出来上がってしまったのではないかなあと思います。

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