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2010年9月15日 (水)

インスピレーションVS事実と論理~あるいは認知療法について

 謎めいたタイトルですが、そんなに難しいことは書きません(笑)。

 例えば、職場の同僚の態度を冷たく感じたり、部下の仕事ぶりがあまりに無責任で後ろ向きに見えたとき、相手が自分に対して軽蔑の念をもっていたり、敵意をもっていたりするのだろうかなどと、相手の悪意が自分の中で妄想的に大きくなっていくことがあります。そして、ひょんなことで、実はその態度の裏には全く別の事情があったことがわかって、ほっとしたり、自分の了見の狭さに情けなくなったりすることってありますよね。

 私が尊敬するベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師は、『仏の教え ビーイング・ピース』という本の中で次のようなたとえ話を書いています。

 ある人が、霧の深い朝、上流に向かって舟を漕いでいました。急に、彼は、もう一艘の舟が下流に向かってくるのに気づきます。こちらの舟を避けようとしません。彼は叫びます。
 「気をつけろ。気をつけろ」
 しかし、舟は突進してきます。自分の舟が転覆するかもしれません。男はすごく怒って、相手に向かって怒鳴りちらし、注意を引こうとします。ところが、よく見ると、相手の舟には誰も乗っていません。舟の紐がほどけて、下流に流れてきたのだということが、わかります。そこで、怒りがまったくとけて、大笑いします。

 そして、ティク・ナット・ハン師は、正しい認識の重要性を説きます。これはブッダ直伝に近いきわめてオーソドックスな仏教の教えですね。

 精神医療の世界には、アメリカ発祥の認知療法というものがあります。うつなどの治療に使われるのですが、この療法では徹底的に事実と論理にこだわって、偏見や思いこみなどの認知の歪みを正していきます。うつ状態に陥ると、物事に対して悲観的になったり、自分を過小評価したりします。認知療法では、例えば、その悲観的な考えや予想を紙に具体的に書き出して、ふたを開けてみたときに、実はそれほどでもなかった、自分の仕事はそれほど失敗には終わらず、周囲の人たちの反応もそれほど悪いものではなかった、などという確認作業を繰り返し行うのです。たとえて言うと、幽霊の正体が枯れ尾花であることを繰り返し確認することで、どんな臆病者でも、どう見ても枯れ尾花は枯れ尾花にしか見えないというところまでもっていくという感じでしょうか。いかにもアメリカらしい療法と言えるかもしれませんね。

 この認知療法が、臨床試験では、抗うつ剤投与と同等以上の効果があり、また再発率が低いことが実証されているそうです。日本でも積極的に紹介している精神科医の方々もおられますが、日本における数分~十数分の診察の中で活用するのはなかなかむずかしいようです。日本人には理屈っぽすぎるという面もあるかもしれませんね。

 このような仏教や認知療法の考え方は、徹底的に事実と論理に基づいて物事を冷静に見つめようとする立場です。

 これに対して(といきなり飛躍しますが)、スピリチュアルの世界で頻繁に登場するインスピレーションとか霊感とか言われるものは、ある意味で、この対極にあるものだと思います。突然にある考えがひらめいたり、根拠なく物事の行方が見えてしまったり、ある人の考えや人となりが話す前からわかってしまったり、というようなものです。もっと霊感の鋭い人になると、見えない世界から具体的なメッセージを受け取って、知るはずのない事実を知ったり、どういう道を進むべきかの助言を得たりします。

 このようなインスピレーションはとても大切なものだと思います。また、見えない世界の存在が、私たちを日々支えてくれていることには感謝すべきだと思うし、その事実を知ることも大事なことだと思います。

 ただ、私は、インスピレーションだと感じたものが、私が職場で抱いた妄想や、ティク・ナット・ハンが描いた舟についての勘違いや、認知療法で言うところの偏見や思いこみ、に過ぎない可能性は常にあると思うのです。インスピレーションで、これはこう進むべきとか、あの人はこういう人に違いないと判断してしまうことが、実は、もっと多様な選択肢や見方があったのに、その可能性を十分に検討もしないまま閉ざしてしまう危険もあると思います。(もっとスピリチュアリズム的に言うと、低級霊にもてあそばれる危険性と言い換えてもいいかもしれません)

 そして、それを防ぐのは、決して滝に打たれる行や山にこもる修行などではないと思います。私たちスピリチュアリストは、インスピレーションを大事にしながらも、この物質世界に生きる者として、事実と論理で検証していく、もっと平たく言えば、常識に還って判断するという姿勢を忘れてはいけないと思います。シルバーバーチが、私が言うことを理性で吟味し、納得がいかなければ否定しなさいと繰り返し言っているのも、そういうことだと思います。

 余談ですが、私は10代の頃に、日本のある宗教者の著書からスピリチュアリズム的な考え方を教わりました。後に読んだシルバーバーチにとても近い教えでした。しかし、その方の死後、その団体は混乱し、後継の方々は、それぞれに活動を展開していきました。私は、それぞれの著書を通じて、しばらくの間、その動向を追いかけましたが、いずれの方々も、正直言って、首を傾げたくなるような、眉をひそめたくなるような方向へと行ってしまったように思います。そのことが、私が、一旦スピリチュアリズムから遠ざかる遠因ともなりました。そういう経験があるのでなおさら、霊的な世界とのかかわりには慎重な姿勢を強調してしまうのかもしれませんね。

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コメント

はじめまして、umiと申します。
いつもblogを楽しませて頂き、ありがとうございます。

今回の記事内容、特に、
 > ...常識に還って判断するという姿勢を忘れてはいけないと思います。
の箇所は、最近良くそう思うことがあったので、
共感すると共に嬉しくなりました。

ありがとうございました。

投稿: umi | 2010年9月16日 (木) 12時34分

こんにちは!

認知療法と霊感、直感的な導かれ方は対極かもしれま
せんね。

が、私的には、認知療法とスピリチュアリズムは、認
知するまでの過程は、似ているものがあるように思う
のです。
もちろん霊的な感覚がある程度あっての上での事です
が。
信頼性の高い霊言を読んでいくと、どれもほぼ、同じ内容を伝えていますよね。その一つ一つを納得してい
くような過程は認知療法に近いように思うのです。

私もウツだった経験がありますが、私がウツから脱出
できた最大の要因は、シルバーバーチの霊訓との出会
いです。そこから、魂の不滅、個性死後存続などが根
っことなって現世を生き抜く力を頂きました。これも
また、一つの認知療法だったのではないでしょうか。

tslのブログ、フォーラムの書き込みありがとうございます。
これからも宜しくお願いします^^

投稿: birch99 | 2010年9月16日 (木) 18時42分

umiさん、ようこそ、はじめまして!

ブログにしては、文章が長ったらしいので(笑)、どれだけの人が読んでくれてるのかなあ、などと思いながら書いています。

共感コメントをいただけるととてもうれしく、励みになります。今後ともよろしくお願いします。


birch99さん、いらっしゃいませ!

TSLブログの記事、いつも楽しみにしています。

>認知療法とスピリチュアリズムは、認知するまでの過程は、似ているものがあるように思うのです。

なるほど、そうかもしれませんね。

birch99さんの言葉で思い出しました。私が初めてスピリチュアリズムの考え方に触れて感動したのは、なぜか癒されるとか、何となく神聖な感じがするとかいう曖昧なものではなく、人生や霊やあの世について、とても合理的で説得力のある答えが示されているからでした。しかも科学的証拠付きでした。

例えば、牧師だったステイトン・モーゼスのスピリチュアリズム受容は、古い因習や迷信にとらわれたキリスト教の教義に基づく思いこみを、インペレーター霊たちが示す事実と論理に基づく合理的なスピリチュアリズムの考え方によって、正されていったプロセスだったと言えるのかもしれません。

これに対して、私が上の記事を書いたのは、本来そんな合理的な近代スピリチュアリズムであるはずなのに、その一部分であるインスピレーション的なものばかりが肥大化して、それに振り回されがちなスピリチュアルな世界に対して不安を感じたからだと思います。

投稿: Glass Age | 2010年9月16日 (木) 21時53分

はじめまして、
ブログ、愛読させてもらってます。

突撃体験記面白かったです。
老舗の団体は、私も昔、精神統一会に行ったことを
思い出しました。

さて、ここに出てくるある宗教者ですが、
彼はシルバーバーチを読んでます。

昭和30年代に脇長生氏編集の「心霊と人生」誌に
シルバーバーチの翻訳が載りましたが、彼はこの購読者であったという情報を確かな人から聞いたことがあります。
心霊団体の「菊花会」の会員であった事実もあり、スピリチュアリズムに深い関心があったようです。

晩年の霊的混乱はひどいものでしたね。
私も彼の弟子という人に数名会いましたが、
結局、教祖様になってしまった人が多いです。
今は、極論かもしれませんが、最初から邪霊に
翻弄された人物だったのではないかと思っています。

私も未だに心霊関係に一歩踏み込めないのは彼の影響も大きいです。目に見えない世界に囚われることなく普通に
生きるのが本当ではと思うのです。

Glass Ageさん は非常にバランスの取れた方ですね。
現実を忘れることなく、スピリチュアリズムに取り組んでおられる。

ただ、今は感覚をもっと磨く時期かもしれませんね(余計なことをスイマセン・・・)

投稿: ダルマ | 2010年9月18日 (土) 00時56分

ダルマさん、ようこそ!

>突撃体験記面白かったです。

こう言っていただけると、6回にもわたって連載で書いた甲斐があったと、うれしくなります。


「ある宗教者」について、貴重な情報をありがとうございます。彼の著書からはうかがい知れない、とても興味深いお話ですね。

私は彼から教わることがとてもたくさんあったので、感謝しています。ただ、おっしゃるように、間接的情報ですが、晩年や死後の混乱は、ひどかったようですね。スピリチュアリストにとって貴重な教訓にすべきと思います。

>Glass Ageさん は非常にバランスの取れた方ですね。
>ただ、今は感覚をもっと磨く時期かもしれませんね(余計なことをスイマセン・・・)

ありがとうございます!
「感覚をもっと磨く時期」というのも何となくわかるような気がしますが、もし機会がありましたら、なぜそのように思われたのか、是非お聞かせくださいね。余計なこととは決して言いませんので(笑)。

投稿: Glass Age | 2010年9月18日 (土) 22時03分

こんにちは、ダルマです。

>「感覚をもっと磨く時期」というのも何となくわかるような気がしますが、もし機会がありましたら、なぜそのように思われたのか、是非お聞かせくださいね。


スピリチュアリズム関係では、リーディングというのでしょうか、相手に意識を向けるとアドバイス的な言葉が浮かんでくることがあるのです。以前は映像が多かったのですが。

「今は理よりも感覚の方に専念すべし」というような言葉でした。

特に能力を得ようと訓練した訳ではなく、プロでもないので、適当に読みすごしてください(笑)

私自身、こういった浮かんでくる言霊や映像を絶対視していません。邪霊の仕業かもしれませんしね(笑)

投稿: ダルマ | 2010年9月19日 (日) 17時28分

ダルマさん、早速のお返事ありがとうございます。

参考にさせていただきます。

今後とも、気軽にお越しくださいね。

投稿: Glass Age | 2010年9月19日 (日) 21時20分

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