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2010年4月15日 (木)

こぼれ話~「うた時計」

 前回のベーシックインカムに関する記事には、予期せぬとても丁寧で深いコメントをいただきました。それに刺激を受けて、とても長くて理屈っぽい返事を書きました。スピリチュアルをめぐってとても深い議論になったように思います。長文を読む根性(?)のある方は是非、お読みください。

 それで、少し頭が疲れましたので(笑)、肩の力を抜いて、「こぼれ話」です。

 朝の子ども番組を子どもたちと一緒に観ていると、ときどきとても素敵な歌に出会います。少し前に感心したのは、「うた時計」という歌です。

 ちょうど3分間のこの歌は、宇宙のはじまりビッグバンからスタートします。そして、地球が誕生し、生命が誕生し、恐竜を経て、猿から人間へと進化していきます。

 3分間に達する直前は人間の時代です。
 「話し合いがうまれ」「争いごとがおきた」と歌うとき、画面では戦争のアニメーションが流れます。

 そして、ちょうど3分に達するとき、この歌はこう終わります。

 でもけんかはやめよう
 ほらラーメンができた!  ~(3分!)

 すごいと思いませんか?
 ただ、争いはよくない、仲良くしようと言われても、なかなか納得できなくても、宇宙の歴史、生命の歴史を見せられて、その後に「けんかはやめよう」と言われると、なぜか理屈抜きに納得してしまうような気がします。

 しかも、最後にラーメンまで出されたら、もう「まいりました」という感じです(笑)。

 ちょっと飛躍しますが、スピリチュアリズムでは、よく宇宙や生命の営みの中に神の姿や意思を見ようとします。実は聖書の世界でも、自然の営みの中に神を見るようなところが随所にあるようです。ただ、後の神学が、キリスト教オリジナルとは言えないどこにでもある素朴な発想ゆえに軽視してしまったきらいがあるとのことです(聖書学者 田川建三さんの受け売りです)。中世の哲学では、神の存在を論理的に証明しようとする試みがあったという話をある本で読んで、あまりの滑稽さに笑ってしまったことがあります。そういう無理な努力より、宇宙や自然の姿を見て、神の存在を感じる方が、ずっと素直で説得力があるように私は思います。

 またまた堅くなりそうなので、「うた時計」で締めくくります。

 「うた時計」

 作詞:美津留 作曲:美津留・サキタハヂメ

 宇宙のはじまりのはじまり
 ビッグなビッグビッグビッグバン
 銀河系ができ 太陽系ができ
 ぼくらの地球がうまれた ~(30秒!)

 いのちのはじまりのはじまり
 お月さまがくれた しおのみちひき
 プランクトンから お魚さんから
 だんだん陸にあがってきた ~(1分!)

 恐竜たちが 
 さかえて きえて
 さむさに たえた
 けものたちの時代へ ~(1分半!)

 おさるがついていた手をあげ
 2本の足だけで 歩きだし
 自由になった 両手つかって
 道具つくって 火をおこす ~(2分!)

 人間のはじまりのはじまり
 なき声が言葉にかわって
 絵をかきだして 文字かきだして
 はずかしくなって服をきる ~(2分半!)

 話し合いがうまれ
 争いごとがおきた
 でもけんかはやめよう
 ほらラーメンができた!  ~(3分!)

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コメント

「けんかはやめよう」・・・一見まったく正しそうなのですが,その一方で次のような言葉もよく聞かれます:「けんかするほど仲がいい」.

この言葉には二つの意味があると思います.一つは,けんかをしても後腐れなくすぐ仲直りできる関係であること,もう一つがけんかの効用ともいえる部分です.

いわゆる口げんかは,お互いが自分の意見の正当性を主張し,それがエスカレートして感情的な言葉の応酬,罵り合いになったものですが,もともとは互いに異なる意見についての議論から始まることが多いように思います.

日本人は議論することが下手だと言われています.先日もインドの教育システムの紹介番組でコメンテーターが「国際学会では,日本人を喋らせることとインド人を黙らせることが,座長の腕の見せ所」と言っていたのが印象的でした.

日本は「和を以て貴しと為す」社会ですので,多少の意見の相違は皆が飲み込んで口に出さないことが多いと思います.議論した後でお互いに感情的なしこりが残るといやだ,という日本人のウェットな感性も影響しているでしょう.

ですが,人間はまだ相手の心の中が読めるほどには感覚が成長していません.夫婦のように何十年も一緒に暮らしていても,やっぱりお互いのことはよくわからないのです.「言わなくてもわかってよ」「わかってくれているはず」というのは残念ながら思い込みで,口に出して言わないことには,自分のこともわかってもらえませんし相手のこともわからないのです.熟年離婚したカップルのそれぞれの告白なんかを聞くと,やはり夫婦間の対話のなさが相互の・・・特に女性は言葉によるコミュニケーションに依存しているので,女性側の孤独感を深める要因になっているようです.

議論やけんかの目的は,相手と自分の間で意見の相違があるときに,自分の意見は違うということを相手にわからせることです.すなわち相互理解のための手段です.「ケンカするほど仲がいい」とは,ケンカという形で発散することで互いに鬱憤がたまらない(ガス抜き)という効果もあるでしょうが,何よりケンカによりお互いが相手のことをよく知ることができる,というところが最も重要な点ではないかという気がします.

映画『マトリックス・リローデッド』の中で,主人公が予言者に会いに行ったときに予言者のボディガードに闘いを挑まれます.本当に救世主かどうか試すためでしたが,主人公が「話せばわかるだろ」と言ったのに対し「闘ってみなければ本当のことはわからない」と答えていたのが思い出されます.真剣に闘えば,その分,相手を深く知ることになります.剣豪は,剣を交えると剣先から相手のそれまでの人生が見えると言いますが,まさにそのことなのでしょう.上杉謙信が武田信玄に塩を送った故事も,真剣勝負が互いを理解させた好例だと思えます.

(余談ですが,この映画『マトリックス』シリーズは,今のこの世界が実はコンピュータ上に作られた仮想世界で,人間の実体は別にあるという設定になっていますが,これはまさにスピリチュアリズムにおける物質界と霊界の関係の焼き直しになっています.なので,実はこの映画は,今から思うとスピリチュアリズム普及のため霊界側からの働きかけで作られたのではないかと疑っています)

ただ,議論にせよケンカにせよ,あくまで目的は自分の意見を表明し,相手に理解してもらうことです.理解してもらうことは,相手に自分の意見を押しつけることとは違います.相手にも相手の意見があるからです.相手の意見を尊重しなければ,すなわち相手の言い分を認めなければ,自分の言い分も認めてもらえるはずがないことは自明でしょう.「自分を知ってもらう」こととは「自分と相手の違いを知ってもらう」ことですが,そのためにはまず自分が相手との違いを理解して,その違いを説明する必要があります.自分と相手の違いを理解することは,相手が自分と違うことを理解すること,すなわち「相手を知る」ことと表裏一体です.

そう考えると「相手が自分を理解してくれない」というのは,実は「自分が相手を理解していない」というのと同義であることがわかります.こう考えれば,それほど腹が立たない,あるいは一時はヒートアップしても,すぐに気を静めることができそうです.

霊界通信によれば,霊界ではこのようなことは起こりえないようです.他人の考えていることはすぐ伝わる,というより,考えていることが姿として見えてしまうそうです.愛に満ちた思いは外見を輝かせ,邪な思いは外見を曇らせます.

残念ながら,この世界では外見から人の内面を判断することはできません.夫婦のように何十年も一緒に暮らしていてさえわからないほどです.ましてや,日常生活でのちょっとした会話や行動でその人全体を知るなんて不可能でしょう.でも,われわれはよく無意識にこれをやってしまいます.たとえば「あいつはダメな奴だ」.でも言われた方からすれば「おまえに何がわかるっていうんだ」というものでしょう.ニューエイジ系(←こういう呼び方もレッテル貼りのようであまり好きではありませんが,簡単のためにこう呼んでおきます)では「不干渉の法則」として,他人を評価するな,理解せよ,と説いています.でもこれを最初に言ったのはイエス・キリストで,「人を裁くな」(マタイ7:1)というのは単に悪事を裁くだけでなく,他人を評価することすべてを含んでいると解釈しています.そもそも評価というのは評価基準(裁判なら刑法にあたる)があってのことですが,その評価基準とはあくまで自分一人にしか通用しないものです.だから自分が評価をしてよいのは自分だけということになります.聖書でも「あなたがたは,自分の裁く裁きで裁かれ,自分の量る秤で量り与えられる」(マタイ7:1-2)とされている通りです.

人間の意識は歪曲されやすいものです.他人を見るときに,そこに何かの評価が入ると,その色眼鏡で見るようになってしまいます.特に身近な権力者(親,教師,上司など)が他者に対する評価を言ってしまうと,その下の者は,その他者をありのままに正しく理解することができなくなってしまいます.学校でのいじめなどは,多くがこういう大人からの影響による子供同士の理解不足が影響しているような気がします.

これに関連して,ケンカは基本的に両者が対等であるという点も見逃せません.上下関係があってはケンカになりません.またケンカをするということは,両者の主張にはどちらも一理ある,すなわち条件としても対等であることがわかります.ケンカをするというのは,相手が対等であると認めていることにもなるので,より相互の理解が深まると考えられます.

以上より,私はあえて「よいケンカのすすめ」を説きたいと思います.それは,言葉や態度,行動に出さなければ相手に通じないというこの物質世界の制約の中で,互いを(=互いの違いを)理解する,とても効果的な方法だからです.ただ,ケンカのあとはちゃんと仲直りしましょう.それは,相手の立場を(多少なりとも)理解したというサインです.

いつか,人間の霊的感性が向上して,言葉に出さなくてもすべての人が相手の心を理解し思いやれるようになるまでは・・・


息抜きのはずだったのに,また堅苦しい話を書いてしまい,申し訳ありません.でも,このブログの趣旨は踏み外していないと思いますので,ご容赦のほどを.

投稿: 心霊外科医 | 2010年4月16日 (金) 04時25分

心霊外科医さん、またまた詳細なコメントをありがとうございます。

ひとつひとつ納得のいく内容だと思います。

特に、私の現在の個人的状況に引きつけますと、「夫婦のように何十年も一緒に暮らしていても,やっぱりお互いのことはよくわからないのです.」という言葉が最も鋭く突き刺さりました(苦笑)。

まだ、何十年もは一緒に暮らしてはいませんが・・・(笑)。

投稿: Glass Age | 2010年4月29日 (木) 21時41分

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