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2010年3月 6日 (土)

フォックス姉妹~スピリチュアリストの順調な人生

 江原啓之さんの『A・NO・YO』という本の中には、江原さんのバッグの中身拝見という妙なページがある。私は江原さんの持ち物の中にいくつかの胃腸薬があるのを見て意外に感じたのを覚えている。優秀な霊能力やヒーリング能力を持っている人にどうして胃腸薬が必要なのだろうと思ってしまったのだ。しかしこれは霊能者に対して陥りがちな誤解に基づくものだと思う。

 1848年3月31日はスピリチュアリストにとって記念すべき特別な日だとされている。有名なフォックス姉妹によるハイズヴィル事件の起きた日だ。ニューヨーク州の田舎町ハイズヴィルにある、14歳のマギーと11歳のケイトが住むフォックス家において、霊によるラップ音現象が起き、霊との交信が始まって大騒ぎとなった。これがきっかけとなって、心霊研究やスピリチュアリズムが、激しい賛否両論の嵐にさらされながら、欧米社会に一気に広まって行った。

 これは、霊界側による近代スピリチュアリズム勃興の一大計画に基づくものだとも言われる。このように聞くと、フォックス姉妹は、天から遣わされた聖なる天使のようにも思える。しかし、実際には彼女たちの人生は決して順風満帆でも聖人君子のようでもなかったようだ。

 彼女たちの能力は興行師の目に止まり、ふたりは稼ぎのいい呼び物となった。有名な作家や編集者も彼女たちの能力を試しに行ったようだが、ふたりは不気味なくらいに的確な能力を発揮したようだ。

 それから約40年後の1880年代、ふたりは霊媒をなりわいとしていたが、そのテクニックは月並みなものになり、客集めに苦労し、貧しさの憂さをアルコールで晴らすような生活をしていた。その頃マギーは、ある科学者グループのテストを受けるが、きわめて低い評価しか与えられていない。

 1888年にはマギーが「ニューヨーク・ワールド」紙で、自分たちは足指の関節で大きな音を出して世間をあざむいていたと告白した(ケイトはこの告白に戸惑い、同意していない)。そして翌1889年には、今度は「ニューヨーク・プレス」紙において、スピリチュアリズムを攻撃すれば富と幸福をあたえると約束されたので、金のために話をでっちあげたと、前言を撤回する告白をした。
 
 スピリチュアリズム批判派は、この一件の前段だけを取り上げて、スピリチュアリズム否定の根拠にする傾向があるようだが、フェアな態度ではないと思う。

 1890年代前半、ふたりは貧困のうちにあいついで世を去った。「ケイトは垢と安酒のにおいにまみれ、歩道で死んでいるのが見つかった。マギーはロウアーマンハッタンの安アパートで、事実上誰にも看取られずに死んだ」。ちなみにマギーは、死の間際においても、不思議な能力を発揮したことを、隣人が語っているという。

 このような事実を知ったとき、私は、近代スピリチュアリズム史上の輝ける存在であるはずのフォックス姉妹がなぜこのような人生を歩んでしまったのかと戸惑った。しかし、これもまた霊能者やスピリチュアリストに対する誤解と偏見に基づいた感じ方なのだと思う。

 霊能者やスピリチュアリストとして生きていくことと、世俗的な成功を収めることや聖人君子のように生きていくこととは、何の関係もない。フォックス姉妹には、彼女たちなりの魂の課題があり、その課題に見合った能力や環境を選んで生まれてきた。そしてシナリオどおりに苦難や激動を味わい、彼女たちなりに成長してこの世を卒業していったにすぎない。それが目標に届かなかったのか、目標以上だったのかは、きっと向こうで彼女たちが自己採点をしていることだろう。

 飯田史彦さんの『決定版生きがいの創造』の中で好きな個所がある。飯田さんは退行催眠などの科学的研究からの引用が多いが、その中で現れた光の存在に対して、(催眠中の)この人の人生は順調ですかと尋ねる場面がある。すると、その人の人生がどんなに苦難に満ちていても悲惨であっても、光の存在は「順調です」と答える。順調に予定どおり苦難を味わって、順調に学びを重ねているというのである。

 とても厳しい言葉だけれど、私たちが必死の思いで人生を生きているときに、高次元の存在たちがそれを見ながら「うん、順調、順調」と言っているのかと思うと、なぜかおかしくて笑えてしまって、とても好きなくだりである。

(参考文献:デボラ・ブラム著『幽霊を捕まえようとした科学者たち』)

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コメント

霊能者やヒーラーは、一般人と全く変わらない
ただの人ですよ
特別な存在と思ってしまう所に落とし穴がありますね

 http://www.youtube.com/user/ayama41

投稿: Krisna | 2010年3月 6日 (土) 11時07分

自身の過ちを思い返してみて、良心を無視して我欲で突っ走ったこちらの自由意志を高次の存在は尊重してくれたのだなと考えたりすることもあります。

あやまちから得ることの大きさ、あやまちを犯したくはないのですが、自主性を尊重してもらったからこそ自己責任の意識も芽生えるわけで、成長に繋がる負の経験に感謝せざるを得なかったり。

>霊能者やスピリチュアリストとして生きていくことと、世俗的な成功を収めることや聖人君子のように生きていくこととは、何の関係もない。

「聖人君子」の定義によりますが、理想を求め完全性を目指すのがスピリチュアリストだと思っているので、「聖人君子」ということが理想を目指すということであれば、スピリチュアリストはいかに現実からかけ離れていても“聖人君子”を目指すべきなのだと考えます。ほんとに、ほど遠いのですけれども、あくまで理想としては。

投稿: 初切 | 2010年3月 8日 (月) 01時44分

Krisnaさん、初切さん、コメントありがとうございます。
コメントいただけるとやっぱりうれしいですね!

初切さんの前段のコメント、本当にそうですよね。
ふと、幼い頃(小学校低学年ぐらいかな)、今は亡き母親が「人間は苦労をしないとダメ」とよく口にしたのを思い出しました。私はその言葉に恐れおののき、「苦労しなくてもいいよね」と食い下がりました。母親は「苦労しないに越したことはないけど」というような答えをしていたような気がします。

40代半ばに達して、残念ながら母親の予言(?)どおりに人生を歩んできたような気がします。いや、私たちの親の世代からみたら、「まだまだ苦労が足りない」と思われているのかもしれませんね(苦笑)。

後段のコメント、確かにそのような姿勢でありたいですね。ただ、私の場合は、「完全性を目指す」などと気負うと、逆に挫折しそうなので、生を受けたときの魂が40点ぐらいなら、50点ぐらいまで成長してから帰りたいななどと考えています。

ここからは初切さんには蛇足ですが(「シルバーバーチに説法」とでも言いますか・・・(笑))、私が「何の関係もない」と強く言い切ったのは、他者(ときには自己も含みますが)がスピリチュアリストを見る視線の中にある、偏見や誤解を断ち切る意図からでした。

これはKrisnaさんの言う「特別な存在と思ってしまう所に落とし穴」という言葉につながってきます。

また思い出話です。高校時代、ある友人が新興宗教に入信して、私をその宗教の施設に誘いました。その施設の壁に「人類のエリートとしての自覚を持ちましょう!」という標語が貼ってあったのを今でも覚えています。スピリチュアリストも一つ間違うと、そんな勘違いに陥ってしまいかねないと思います。

スピリチュアリストであれ、唯物主義者であれ、すばらしい人たちはいるというのはシルバーバーチの口癖でしたね。私はむしろスピリチュアリズムという基盤をもたないままに、前向きに積極的に自己を成長させ、世のため人のために働いている人たちの方が、より高レベルのすばらしい魂であるとさえ思います。

謙虚に、かつ、高い理想をめざす、そんな高度な芸ができたらいいのですが・・・。

投稿: Glass Age | 2010年3月 8日 (月) 22時13分

丁寧なお返事ありがとうございます。

>今は亡き母親が「人間は苦労をしないとダメ」とよく口にしたのを思い出しました。私はその言葉に恐れおののき、「苦労しなくてもいいよね」と食い下がりました。母親は「苦労しないに越したことはないけど」というような答えをしていたような気がします。

「苦労は買ってでもしろ」とか、説教くさくてウンザリしそうな言葉の多くも、スピリチュアリズム的に正しかったりすることが多いですね。正直、苦労したいとは思えない自分ですけれども。

>ただ、私の場合は、「完全性を目指す」などと気負うと、逆に挫折しそうなので、生を受けたときの魂が40点ぐらいなら、50点ぐらいまで成長してから帰りたいななどと考えています。

私の場合は、現状といくらかけ離れていても“理想”のようなものをどこかに置いておかないと、どこまでも堕落していきそうなのであえて書いたりしています。原則主義というところもありますが、およそ他人に理想を求めるとかではあり得なくて、あくまで自分向けです。挫折を避けるGlassAgeさんが地道な成長を提示して、堕落を防ぐ段階の私がエラソーに理想を唱える、お恥ずかしい限りです。いずれにせよ、理想は理想として、一歩一歩成長するしか無いのですけれども。

>私が「何の関係もない」と強く言い切ったのは、他者(ときには自己も含みますが)がスピリチュアリストを見る視線の中にある、偏見や誤解を断ち切る意図からでした。
>これはKrisnaさんの言う「特別な存在と思ってしまう所に落とし穴」という言葉につながってきます。

特に霊能者の場合は特別な役割あるのでしょうけれど、上位存在を意味するような特別さであってはならないということでしょうね。おっしゃるとおりだと思います。

>私はむしろスピリチュアリズムという基盤をもたないままに、前向きに積極的に自己を成長させ、世のため人のために働いている人たちの方が、より高レベルのすばらしい魂であるとさえ思います。

まったく同意見です。来世がどうとか計算もせず、おそらくただ助けたいという衝動だけで災害救助ボランティアを組織している人物が、現世的にはどう見ても“割に合わない”であろう活動を嬉々としてやっていて、「自分は助けているのではなく自分もそれで救われている」、そういったことを言っていたのを最近テレビで見たのですけれども、こうした人こそバーチ的に言えば内在する神性を大きく顕現しているのだろうなと。

投稿: 初切 | 2010年3月14日 (日) 10時57分

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