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2010年3月30日 (火)

ベーシックインカムという夢~貧困と格差とスピリチュアリズム

  ベーシックインカムという構想がある。政府がすべての人に無条件で一定の基本所得を保障するというもので、200年以上前から提唱されてきたとも言われている。それが、貧困や失業が深刻化してきた現代日本において、最近急速に関心が高まっている。働いている人にも働いていない人にも、収入が多い人にも少ない人にも、老若男女を問わず、すべての人に一律に無条件に最低限の生活を支える所得が支給されるという。日本では、例えば毎月ひとり当たり5万~8万円が支給されるという試算もある。

 より具体的な内容や浮かんでくる様々な疑問や批判に対する回答は、専門のサイトや本に任せるとして、私はこの制度は様々な可能性を秘めた魅力的なものだと思う。また、この構想をめぐって面白いのは、貧困や格差に立ち向かう社会運動系の人たちからベンチャー系の起業家に至るまで幅広い人たちが支持を表明していることだ。テーラワーダ仏教系の人たちやスピリチュアリストたちの中にも積極的に賛成している人たちがいる。実は私自身も「悠々塾」というスピリチュアリズムを学ぶまじめな集まりの人たちから教えられて初めて知った。

 宗教やスピリチュアリズムにかかわる人たちは、社会の格差や貧困の問題にどのようにかかわるべきだろうか。この問いに対して、ひとつの正解があるなんてもちろん思っていない。ただ、大雑把には次のような3つの態度があるように思う。

1 個人の心の問題にのみ集中し、社会的問題にはかかわらない
2 慈善事業や慈善行為というレベルでかかわる
3 制度や社会の変革レベルの問題にまでかかわる

 このうち慈善行為にかかわる宗教者はよく見聞する。そして「慈善は解決にならない」という言葉もこれまでよく耳にしてきた。これは、「慈善の対象となる人の自助・自立を阻害する」という立場と「慈善では社会の不公正な構造そのものは変わらず根本的な解決にならない」という立場の両方からの批判だと思う。もっともな批判だとは思うけれど、貧困問題などに見向きもしない宗教者やスピリチュアリストが多数いることを考えると、慈善にかかわるだけでも立派なものだと私は思う。(蛇足ながら、自殺した友人が、日雇い労働者のための活動に関わっていたとき、「キリスト教系の人たちは頑張っているんだけれど、行政と対決するような場面では消極的だ」と嘆いていたのを思い出します。)

 自戒を込めて言うと、実は上のように立場を分類して、どちらがどうと言うのは、机上の空論が好きな頭でっかちの人が陥りがちな落とし穴なのだと思う。実際にはそれぞれのおかれた立場や環境、能力に応じて、できることをやっていくしかない。

 マザーテレサが1979年にノーベル平和賞を受賞した後、来日したことがある。私は高校生だった。日本の記者が「貧困の解決には社会改革が必要では」と問いかけたとき、彼女は次のように答えた。

 あるとき、裕福な人が私にいいました「なぜあなたは、貧しい人びとに魚を与えるのですか?その魚を捕る竿を、どうして与えないのですか?」と。
 そこで私は答えました、「この人びとは病気、飢え、疾患などをかかえていて、立つことすらできないのです。ですから私は、まず、食べることができる魚を与えています。自分で立てるようになったら、今度はみなさま方にお願いします。魚を捕ることができるように、その人びとに竿を渡してあげてください」と。

 実際に貧しい人たちと日々向き合っている、実践者ならではの答えだと思う。高校生のときに読んで感銘を受けて、いまだに印象に残っている。(そのやり取りが載っている本を実家から見つけ出してきました-講談社現代新書『生命あるすべてのものに』。ちなみに今年はマザーテレサ生誕100年だそうですね。)

 話は変わって、聖書をほとんど読んだことがない私だが、田川建三さんという異色の聖書学者の本を読んでイエスによる面白いたとえ話があるのを知った。

 ある地主が早朝に自分の葡萄畑のために1日1デナリの約束で労働者を雇った。その後、午前中や昼や夕方にも仕事にあぶれて立っている者がいたので次々と雇った。そしてその日の終わりに、すべての労働者に1デナリずつ賃金を払った。最初の労働者は不平を言ったが、地主は「最後に来た人にもお前と同じだけ払ってやりたいのだ」と答えたという。(マタイによる福音書20.1-15)

 この話の解釈はいろいろあると思う。ちなみに田川さんの教え子の大学生に感想を求めたら「不公平で納得いかない」という意見が多かったと言う。

 私は、このたとえ話を熱く語っているイエスの前に進み出て、実はあなた方の時代からは想像もつかないような豊かな社会になっている21世紀の日本というところで、それでもなお貧困や失業が世に溢れていて(こう言った時点で「信じられない!」と言われるかもしれない)、その解決策のひとつとしてベーシックインカムという構想があるのですが、いかがですかと尋ねてみたい気がする。

 もちろんイエスがベーシックインカムのことを語っていたなどというつもりはないけれど、このたとえ話に流れる精神とベーシックインカム構想とは見事につながっているように思う。イエスは力強く「賛成!」と言ってくれるような気がするのだが・・・。

(参考サイト)
ベーシックインカムええじゃないか
http://bieejyanaika.web.fc2.com/index.html

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コメント

ベーシックインカムについての法律的,経済的問題や実現可能性については,他のページでも充分に議論されているようですので,ここではスピリチュアルな観点からの疑問を書いてみたいと思います.スピリチュアルな判定基準は,唯一「愛」,それも無私の高い視点からの愛です.

 このような制度ができたとして,もし外国から人々が日本に殺到したらどうしますか.「あなたたちは外国人だからダメです」「この制度ができた後から日本に来た人には適用されません」とでも言うのでしょうか.たしかに,そうでもしなければ制度が維持できないことは明白です.でもそれは,この記事中にあった「最後に来た人にもお前と同じだけ払ってやりたいのだ」という思想と適合しますか?

 そもそも,たしかに日本国内における格差社会は改善されるのかもしれませんが,世界と日本の格差についてはどうなるのでしょうか.日本に限らず,先進国の繁栄は,途上国からの搾取によって成り立っていると言われています.一般的に言って,人間は自分の労働に見合った対価を受け取る権利がありますが,逆に他人に対しても同じ対価を支払わなくてはならないはずです.しかし,たとえば賃金水準が日本の10分の1の国で作られた製品を我々が購入した場合,我々は自分たちの10分の1の労力分しかお金を払っていないことになります.これは立派な搾取ではないでしょうか.そしてこの制度は,その富を日本国内だけで山分けしようというものになってはいませんか.

 まず,その「国家」というものが気になります.国は通常,国境線で区切られていますが,神は地球上に境界線など引いてはいません.実際,渡り鳥にとっては,地球上に移動を妨げるような境界線はありません.これは人間が勝手に境界を決めているだけです.ではなぜ境界線を引くのでしょうか.この線には,「ここから内側は自分たちの土地だから,よそ者は入ってくるな」という主張が込められています.簡単に言えば「独占」と「排斥」です.そして,対外的には軍事力により自らの権益と安全を守り,内部の統制には法律を作って違反者を処罰し,法律を守るよう強制しています.いずれにしても「力の論理」の産物です.このシステムに,どれほどの神の愛が感じられるでしょうか.

 もちろん,国家には「内外の敵から国民を守る」という役割があることも事実です.獣性が支配している時代には,そうしなければ略奪され、殺されるか奴隷にされるかしてしまうかでしたから,一定の必要性はあったのかもしれません.

 でも,なぜ守らなければならないのでしょう.欲しがる人たちには,分け与えてやればいいのではないですか.「おまえ達にはやらん」と考えるから,守らないといけなくなるように思います.

 最近の,宇宙人や守護霊とつながっている人たちの中には,都会を捨てて田舎で自給自足の生活への志向も見られます.近隣の住人と善意での物々交換を行い,金銭のやりとりを行わないような生活です.皆が善意と奉仕の精神を持っていないとダメですが,うまくいっている人たちもいます.これであれば誰からも何も奪いません.与え合うことで調和を保っています.原始共産主義と言うのでしょうか.また無政府主義的でもあります.国家という組織に霊的な正当性を見いだせないからかもしれません.

 多くの霊界通信に記述されている霊界の生活は,これと全く同じようです.霊界では,その階層には同じ霊的発達度の霊しかいませんので,人間界より少し上の階層以上では,皆が愛と奉仕の精神で行動していますから,このシステムは完璧に機能します.また,ですから,霊的には,これが非常に霊性の高い生き方ではないかと考えられます.

 ただ,われわれの住んでいる物質世界では,同じシステムはうまく機能しない可能性があります.この物質世界は善と悪が同居しており,社会の闇が強ければ略奪されて根絶やしにされる危険があるからです.獣性の強い時代に,あまりに高い霊性をもった者の末路は,ソクラテスやイエス・キリストが示している通りです.その時代の社会全体の霊的発達度に応じた制度でないと,この物質世界では生き続けることができません.今,このような自給自足的な集団が存続できるのは,現在の社会が少しは平和であるためといえるかもしれません.でも,まだ紛争が絶えない地域も多く,日本国内ですら治安の悪い地域もありますから,誰もができるわけではないでしょう.(将来,地球人類全体の霊性がもっと高くなって,いわゆる「アセンション」という段階を過ぎれば,地球上では全ての対立が解消し,国家も宗教もなくなって,皆がこのような暮らしができると説く人もいます.)

 このように現代社会が不完全であり奪い合いがいまだに行われているという前提に立てば,いまの国家や経済システムの搾取性に目をつぶりつつ,治安維持や経済的安定というプラス面を利用し,その上にベーシックインカム構想のような富の再配分システムを構築することは,現実的な選択の一つではあると思います.実現すれば日本国内については貧富の差が縮まるので,少なくとも今よりは良い社会になる可能性はありそうです.

ここはスピリチュアリズムを主題にしているということなので,その意味で言わせていただくと,何かを考える際には,いま見えている物質世界だけでなく霊的世界とのバランスが重要になってきます.G.V.オーエンの『ベールの彼方の生活』などを読みますと,ひたすら自らの霊性を高め,より天界の高い境地を目指す霊もいれば,あえて暗黒界に身を置き,そこにとらわれた人々の救済にあたる霊もいます.霊性の高い霊が増えれば,それだけ霊界の光輝が増し,地球にもその光輝が降り注いで人類の霊性向上に寄与します(シルバーバーチやインペレーターなどは,まさにそういう霊です).一方,暗黒界の霊を救い出せば,それだけ暗黒界の力が弱まり,地上の闇が減少します.どちらが良いとか悪いとかいうことはありません.どちらも同じように重要なのです.各自が,自分が最も良いと思う方法で世界のために尽くせばそれでよいのです.

 僧侶や修道士などは,俗世間を離れて自らの精神世界の向上をはかる人たちですから,俗世間の制度に口出しをしないのが本来です.今,見えている世界の中だけのことを考えれば,このような態度は愛が足りないと思うかもしれませんが,霊界における作用を考えれば,それは事実の表面しか見ていません.シルバーバーチも言うように,真摯な祈りには実際的な効用があります.世界平和,世界の救済を求める真摯な祈りは,霊界によって現実に世界を良くする力へと変換されます.決して,現場で直接,救済を行うことに劣るものではありません.

 もちろん,いわゆる求道者たちが,皆,そのように霊的に優れているわけではないことも知っています.とはいえ,慈善事業を行う者にも,政治的な売名行為や悪行に対する免罪符の目的の者もいますから,どっちもどっちでしょう.これも霊訓で常に説かれているように,あらゆる行為は,その「動機」が重要である,ということです.動機が純粋で愛に満ちたものであれば,ただ祈るだけでさえ,実際に大きな影響力を発揮することができるのです.

 私自身は,チャネリングなどの能力はないので,以上のことはすべてスピリチュアリズム関係の書籍やWebからの情報を基に自分なりにまとめてみたものです.霊界から見れば,まだまだおかしなところもあるかもしれませんが,自分ではスジを通したつもりです.参考意見として読んでいただければ幸いです.長々とどうもすみませんでした.

投稿: 心霊外科医 | 2010年4月10日 (土) 18時19分

心霊外科医さん、ありがとうございます。
私の文章は、決して明快とは言えないような書き方でしたので、コメントしづらいのではと思っていましたが、とても詳細で刺激的で深い内容のコメントをいただき感謝します。

いくつもの大切な論点があるようですので、なかなか返事が大変そうです(笑)。

まず私の基本的立場を言いますと、心霊外科医さんの「各自が,自分が最も良いと思う方法で世界のために尽くせばそれでよいのです.」という意見に全く同感です。そして「動機が純粋で愛に満ちたものであれば,ただ祈るだけでさえ,実際に大きな影響力を発揮することができるのです.」という意見にも同意できます。それは私の記事本文を読んでいただければわかっていただけると思います。

ただ、それで終わってしまえば面白くありません(笑)。やはり具体的な問題についての言及部分では、感じ方や理解の仕方、力点の置き方の違いがあるように思います。それを順番に書いてみたいと思います。

1 外国人や国際的格差への対応について
 ベーシックインカムはあくまでも国内福祉のための制度ですので、ベーシックインカムにそこまで求めることは守備範囲を超える問題だと思います。ただ、おっしゃってるのは、スピリチュアリストとして、あるいは、イエスの葡萄畑のたとえを引用した者として、日本人の貧困と格差だけ是正されて、それでいいのかという問いだと思います。
 これに対する論理的な応答は、「ベーシックインカムを支持すること」と、「ベーシックインカムがすべてを解決してくれると主張すること」は違うというものです。当然、私は後者の立場ではありませんし、世の多くのベーシックインカム導入論者も同じだと思います。実際、私にベーシックインカムのことを教えてくれた人たちは、同時に、発展途上国の貧しい人たちの問題をはじめ様々な問題にかかわっておられます。世界政府のようなものが存在すれば、世界同時にベーシックインカムを導入するという道もあるでしょうが、そうではない以上、世界の貧困や格差の問題には、また別のさまざまな手法で取り組んでいくしかないと思います。
 もう少し具体的なレベルで論じます。心霊外科医さんの言う「「あなたたちは外国人だからダメです」「この制度ができた後から日本に来た人には適用されません」とでも言うのでしょうか.」という問いは、実はベーシックインカムを支持するかどうかにかかわらず、先進国と言われる「豊かな社会」に住む人間には、常に突きつけられる問題だと思います。
 私が学生時代を過ごした1980年代は、日本の豊かさは欧米社会を追い越したと言わんばかりの勢いで世界の羨望の的でした。アジア諸国からは留学生が押し寄せ、国内では労働力の不足が言われ、移民労働力を受け入れるか否かが論争の的でした。「開国派」と「鎖国派」が激しく論争していました。私はどちらかと言うと開国派に共感していて、日本社会が国際化されるし、アジアの貧しい人たちに仕事を提供できるし、いいのではぐらいの気持ちでした。しかし私は、決して「開国派」=利他的、「鎖国派」=利己的と理解すべきではないと思います。「鎖国派」のある論者は、アジアの貧しい国と言っても、実は国内に激しい格差があり、一部の地主が土地を囲い込んでいて、土地を持たない多数の貧しい農民たちがやむを得ず、先進国に出稼ぎに来る。まずは、向こうの国内で農地改革をするなど、貧富の格差を是正すべきではないかと主張していました。また、安易に移民労働力を受け入れて、不景気になったときにどんな事態が生まれるのか、民族対立に発展する覚悟はできているのかと問い詰めていました。私はこうした主張にも一理あると思いました。
 実際、多くの移民を受け入れていたヨーロッパ諸国で、もともとの国民の中の貧しい人たちが移民に対して反感を募らせ、移民排斥のナショナリズムが発生し、右翼政党が急速に成長するという現象も見られました。
 逆に「開国派」の中には、単に安価な労働力が欲しいという動機の人たちもいたことでしょう。
 仮に動機が純粋な愛に満ちていたとしても、そこから導かれる答えはきっと無数にあると思います。

 葡萄畑のたとえについて改めて考えてみます。心霊外科医さんが、外国人を除外すれば、この思想に適合しますかと問いかけられた点です。
 仮に企業の経営者が、このたとえに忠実に、少ししか働かなかったり休んでいた労働者にも、さらには失業している人たちにも、気前よく、フルタイムで働いている社員と同じだけの給料を払ったとしたら、たちまち倒産するでしょう。では、このたとえは非現実的なものだったのでしょうか。
 私はそうは思いません。葡萄畑で、朝早くから職にありつけたのは若くて屈強な労働者だったのかもしれません。なかなかありつけなかったのは何らかの障害を持った人たちや年老いた人たちだったのかもしれません。それは一地主や一企業の経営者には解決できない問題でしょう。しかし、イエスの時代から2000年が経った私たちの社会は、労働者の権利を守るために最低賃金を定めたり、長時間労働や安易な解雇を規制したりしてきました。失業者には失業手当制度を設けました。障害者の雇用を義務付ける制度も作ってきました。高齢者には年金制度を用意しました。どうしても働けない人たちには生活保護制度も設けました。こうした様々な取組みこそが、「最後に来た人にもお前と同じだけ払ってやりたいのだ」という思想に応えることだったのではないでしょうか(ちなみに人類は社会主義や共産主義という壮大な失敗もやってしまいましたが・・・)。しかし、こうしたセイフティネットはまだまだ穴だらけのようです。それをかなり効果的に解決できる選択肢の一つがベーシックインカムだと私は思います。
 仮に外国人を対象外にしたら、即、葡萄畑のたとえの思想に適合しないのではなく、それに代わるべき解決策に向けていかに知恵を絞るか次第だと思います。

 まだ、心霊外科医さんの冒頭部分の問いかけにしか答えていません。余力があれば(笑)、続きを書きます。

投稿: Glass Age | 2010年4月11日 (日) 23時38分

 心霊外科医さんへの返事の続きを書きます。丁寧に書こうとすると長くなってしまいます。ご容赦ください。

2 国家について、そして自給自足の生活について
 心霊外科医さんは、国家は「力の論理」の産物であり、このシステムに、どれほどの神の愛が感じられるでしょうか、と問いかけておられます。
 しかし私は思います。私たちは、主権国家システムやグローバル経済などを特徴とする時代に生を受け、その中で何を学び、どう生きていくかが問われているのだ、と。
 また学生時代の思い出ですが、ある国際政治学者が、世界は25ぐらいの国家で構成されるのが望ましいと主張したそうです。これに対して、別の学者が、現在の国際社会の現状から、「25ぐらいの国家」に至るまでに、どれだけのプロセスが必要で、どのような課題や障壁があるのかをわかっているのかと批判しました。
 いくつかの霊界通信によると、霊界では「思い」が即「現実」だと言います。国家など必要ないと思えば、国家は消失するのかもしれません。しかし、私たちの住む物質世界では、ある状態を実現するには、膨大で迂遠なプロセスが必要です。
 平和を実現したいという「思い」を人類は長い間抱き続けてきました。ある人は国際連盟というものを考案しました。その挫折を踏まえて、国際連合が生まれました。しかし、それが順調に機能しているとは言えません。かつて戦乱の舞台だった旧西ヨーロッパ地域では、いつしか相互に武器をもって戦う可能性が限りなくゼロになってきました。経済を統合したり、主権の一部を譲り合ってEUなどというものも誕生しました。国境を越えて、NGOやNPOと呼ばれる存在が、環境問題や貧困問題の解決のために飛び回るようにもなってきました。こんな風に、ジグザグに失敗を重ねながら、「思い」が少しずつ「現実」になっていくのが、「この世」ではないでしょうか。
 民主主義とか人権というものが広まって、「力の論理」の産物である国家も、昔と比べたら、随分とお行儀のいい存在になってきたと思いませんか。そしてそれは、歴史上の無数の人たちの努力のおかげだと思います。

 これに対して、それでも一切の悪しきものとはかかわらず、純粋な自給自足の暮らしをしていくという道も確かにあると思います。その意義を否定はしません。その暮らしぶりが、何らかの形で、世界の悪に対しても良き影響を与えていくかもしれません。
 しかし、もしそこで暮らす人たちが、純粋な愛の動機に満ちた人たちであったなら、その外側の世界において、悪や不公正の嵐が吹き荒れているのを知っていながら、それに関わらずに過ごすことが可能なのでしょうか。そのことに良心の痛みを感じない人たちであったなら、そういう人たちを「霊性が高い」と評価することに私は疑問を感じます。

3 アセンションについて
 アセンションについては、別の記事で詳しく論じましたので、その内容と重なるかもしれませんがご容赦ください。心霊外科医さんが括弧書きで書かれている部分を改めて引用します。

(将来,地球人類全体の霊性がもっと高くなって,いわゆる「アセンション」という段階を過ぎれば,地球上では全ての対立が解消し,国家も宗教もなくなって,皆がこのような暮らしができると説く人もいます.)

 私は、日々の生活や社会活動から全く独立しているような「霊性」というものがあるとは考えません。つまり、「霊性が高くなる⇒全ての対立が解消⇒国家も宗教もなくなる」という図式に違和感を覚えます。全ての対立がなくなるような、国家も宗教も必要ではなくなるような状態を目指して、気の遠くなるほどの多くの試行錯誤やチャレンジを積み重ね、その経験から少しずつ学んで成長していく。そのプロセスこそが、「霊性が高くなっていく」ということではないでしょうか。

4 純粋な祈り
 「動機が純粋で愛に満ちたものであれば,ただ祈るだけでさえ,実際に大きな影響力を発揮することができるのです.」という心霊外科医さんの意見に同意できると冒頭に書きました。ただ、影響力を発揮するプロセスについては少し観点が違うように思いました。
 愛に満ちた祈りをする人は、例えば、家族や友人に対して、その他多くの人たちに対して、きっと愛に満ちた言動をし、対応をするでしょう。その愛は必ず、伝わっていき、それを受け取った人たちは、また、別の人たちに愛をもたらしていくでしょう。それは伝わっていく過程で、より具体的な仕事や営みへと発展していくかもしれません。そういう意味で、純粋な祈りにも大きな影響力があると思います。
 極論すれば、何も社会的活動をしていないけれど、動機が純粋で愛に満ちた人と、とてもすごいレベルの社会的活動をしているけれど、その心は傲慢さや怒りや憎しみで一杯の人と、どちらを評価するかと問われれば、私は前者だと答えると思います。
 しかし、私はこのような比較は机上の空論に近いものではないかと思います。実際には、動機が純粋で愛に満ちた人なら、この世で生きる限り、悪や不公正が今なお溢れている現実を前にして、何らかの関わりをせざるを得ないのではないでしょうか。例えば、ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハンが、ベトナム戦争に苦しむ祖国を前にして、僧院にこもるだけで終わることができなかったように、です。
 私は、宗教者(スピリチュアリストも含む)は、まず何よりも心の問題を重視し、その領域で、教え導いてほしいと思っています。社会活動が本業だとか必須だとまでは言いません。しかし、この物質界を選んで生まれてきた限り、祈りや瞑想だけという生き方はもったいないし、そもそもできないのではないかと思います。

 心霊外科医さんのコメントに刺激を受けて、とめどなく書いてしまいました。長くなって読みにくいかもしれません。また、思い違いもあるかもしれません。
 その点はご容赦いただくとして、また、気が向いたらコメントしてください。

投稿: Glass Age | 2010年4月12日 (月) 23時58分

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